茶トラ白猫のテリオがいなくなって
2017年10月25日で半年が経ちました。
ひそかに庭へ戻ってきたりしないかな~と思っていましたが
やっぱり戻っては来ませんでしたね……( ;∀;)
迷子猫のチラシを貼らせてもらっていました。
かかりつけのお医者さんにも
「半年経っても戻らないのなら、最悪の結末を考えたほうがいい」
…とも言われていますし、そろそろはがそうかとも考え中です。
いつまでも貼っているのもご迷惑にもなります。
テリオのチラシはいろんな方が見てくださっていて
ボランティアをしてくださっている方々は
特に気に留めてくださっていました。
過去日記にも書きましたが……
ボランティアでエサやりをしてくださっている方が
最近までみかけていたんだけど~
……なんて、おっしゃってくれていたそうです。
hiroさんと方々探し回りましたが、猫をみつけるのって難しいですね……
なんせ、人間よりも行動範囲が狭いとはいえ、あの小さな体と身体能力ですから、進める道が違いすぎます。
野良ネコたちと同じ道を行こうとすると、それこそ「棘の道」です(;・∀・)
一度追いかけてみましたが、当然のことながら、挫折しました^^;
みつけるために神頼みもしました。
神様へお願いして半年ほど経ちました。
私が参考にさせていただいているブログ本の著者、桜井識子さんの著書のなかで、神様がこう言われたそうです。
「神が行うことを信じる、それもまた信仰である」
神様に願掛けをすれば、ほぼほぼ願いは叶うそうです。
(※ギャンブルで勝つとか、他人の不幸などは無理なようですが。あと、神様の実力にも叶う頻度が変わるようです)
ですが、稀に、どれだけ神頼みしても叶わないこともあるのだとか。
それは、その人物にとって行わないほうがいいこと、もしくは生まれてくる前に決めてきた人生プランから外れる内容であること
……などが該当するようです。
これは私も体験したことがあるので、なんとなくわかります。
私はとあるお願いを神社へ行くたびにしてきました。
それこそ、場所は問わず、神社の知名度は問わず、ただひたすらに一つの願いをしてきました。
有名な寺社仏閣で何度もお願いしたこともあります。
ですが、それは10数年経った今でも叶っていません。
願いの欠片さえも引っ掛かりもしないということは、その願い事は、私の人生プランに合わないことなんだろうなぁ
そんな風に考えています。
そういった経験をしているせいか、テリオのこともそうなのかもしれない…と思うようになっています。
それには一応、理由があります。
風邪でぐちゃぐちゃだったテリオを知人から預かってから、私はずっと妙な違和感を覚えていました。
まず、懐かない。
それから、なかなか名前を覚えない。
テリオを受け入れるまでに3匹ほど仔猫をもらいましたが、1ヵ月も世話をすると、飼い主である私たちの顔を覚えてくれました。
まして、目薬だとか嫌なこともされるわけですし……
大好きなゴハンをくれる相手は、覚えるのも早い気がします。
ですが、テリオはゴハンをくれる相手も覚えてくれませんでした。
ゴハンが欲しいときもレアに向かって鳴くほどでしたから、半年過ぎてもそうだったように記憶しています。
名前の覚え方は個体差があるとは思いますが、テリオは1年を過ぎても覚えませんでした。
おかしいなぁ…とは感じていましたが、個体差だろうと思うことで違和感をぬぐっていましたね。
それと、これは私の感覚の問題なのですが……
テリオはいつかフッといなくなってしまう、そんな気がしてなりませんでした。
直感というのでしょうか。
テリオは本当は外で暮らす猫ちゃんだったのかもしれない。
我が家に来たのは、風邪で弱っていた体を治すためだけで、いつか屋外へ帰ってしまうのかもしれない。
預かった当時は風邪で死にかけていましたから、強く逞しくなるためだけに家へ来たのかも。
なぜだか、そんなふうに感じて不安になっていました。
だから、テリオを抱っこするたびに、「ずっと一緒にいようね~」なんて語りかけていました。
それでも、テリオはベランダから落ちて消えてしまいました……
方々探して、神頼みもして、それでも見つからないということは探さなくてもいいということなのでしょうか……
こんなシーンは、もう二度とみられないのかなぁ……
あんなに甘えん坊だったテリオが、なにかあるとレアにべったりだったテリオが、めちゃくちゃに寒がりだったテリオが、1匹で屋外で生きるのに耐えられるのかなぁ……( ;∀;)
猫はもともと個体で生きてゆける生き物ですが、そのことだけが気がかりで仕方ありません。
帰ってきたら、もちろん我が家へ迎え入れます。
でも今は、屋外でも強くたくましく生きてくれることだけ、それだけを願ってやみません。