おはようございます、いりのです。
近畿三十六不動尊霊場巡礼
第10番「若王山(にゃくおうざん) 無動寺(むどうじ)」
〒651ー1254 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100
tel.078-581-0250
最初に書いておきます。
近畿三十六不動尊霊場巡礼の公式ホームページの住所が古くなっているようで、ここに書かれてある無動寺の住所「兵庫県神戸市北区山田町福地100」を、カーナビに入れるとアバウトにしか場所が出てきてくれません。
なので、「字新池」が「福地」の後に追加されているため、そこまで入れてください。
兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100
これが現住所です。
国道428号線は走りやすい車道ではありますが、無動寺へ進むためには横道へそれて、細い田舎道を通ります。
(※無動寺への看板が428号線には設置してあります)
ですが、この田舎道が山村の田舎によくある、似たような細い道で細かく枝分かれしており、お寺はその道から続く山の中なのできちんとナビを設定していないと迷う可能性があります(〃゚д゚;A
(※おまけに細い道には外灯も少ないです)
ブログに掲載されている方は新しい住所を書いてくださっているのですが、肝心の近畿三十六不動尊巡礼のHPが古い住所のままなんて……(。-`ω´-)ンー
ただしカーナビはお寺までを示していますが、車は150メートル?~200メートルくらい手前で停めなければいけませんので、そこもご注意くださいませ。
参道は車が入れませんので、参道手前の駐車場へ停めて歩いて進むことになります。
若王山 無動寺は国指定重要文化財の仏様がたくさんおられる由緒あるお寺
さて。
神戸十三佛霊場巡り(大日如来)12番目、摂津国三十三箇所(十一面観音)第9番のお寺にもなっています。
2019年4月にお参りしました。
(※ブログ更新が追いつきません……(T_T))
神戸市でももっとも田舎を感じることのできる町の、さらに山の中にあるイメージです。
少し車を走らせれば近代的な住宅街に出ますが、この周辺は住宅こそ新しくなっていますが、昔ながらの山村といった雰囲気がまだ残っています。
石碑を目印として、距離にして200メートルもないくらいでしょうか?
距離を測ったことがないので申し訳ないです。
ですが、そんなに長い道のりでもありませんし、急な階段を何十何百段も登るとか、そういう感じではありません。
ゆるやかな坂道を登ります。
お寺の手前には石段はありますけれどね^^;
階段を登りきると、左手に不動堂、正面に本堂があります。
左手の不動堂には入れませんので、中を覗いて手を合わせるだけにしておいたほうが良さそうです。
本堂の入り口は開いているときもありますが、だいたい閉まっている気がします。
この日は春の爽やかな季節で、他にも参拝客がいたこともあり、すでに開いていました。
入り口が閉まっているときは、入り口近くにインターフォンがありますので、押すと対応していただけます。
本堂には複数の仏様がおられます。
ガラス張りになった場所の、向かって手前中央に不動明王様・後ろ中央に大日如来様・左手後方に釈迦如来様・左手手前に十一面観音様・右手側は前後ともに阿弥陀如来様という並びになっています。
場所を文字化すると、こんな感じでしょうか。
スマートフォンだとずれているかもしれませんね
ちなみにご本尊は大日如来様です。
ひときわ大きく、中央に鎮座しておられます。
その前に不動明王様がいて、お守りしているようにも感じる、そんな並びです。
ガラス越しにしているのは、仏像のほとんどが国から重要文化財に指定されているためだと思われます。
ほとんどの仏像は平安時代に作成されたとのことで、朽ちた感じにも歴史を感じます。
阿弥陀如来様が1体だけ県指定重要文化財ですが、それ以外は国から指定されて保護を義務づけられている歴史的な仏様ということになります。
田舎の小さなお寺に、こんなに重要文化財が置いてあるんだ~と思うと怖い気もしますね。
そのためなのか、ここのお不動様にお会いするには拝観料が必要となります。近畿三十六不動尊霊場巡礼 第10番「若王山 無動寺」 ~気ままな私の日帰り旅行~
1人300円。
撮影、写生は禁止です。
国指定重文を守るためにしては安い気もする……
ガラス張りの両隣には弁財天様と青不動と呼ばれる不動明王様・毘沙門天・多聞天(※うろ覚えなので別の四天王かもしれません)・弘法大師様・掛け軸の不動明王様や大日如来様が設置されてあります。
本堂だけで充分に仏様を堪能できるシステムです。
私はこの日、1人で参拝し、じっくりと仏様と向かい合ってきました。
ご挨拶をして、前回の不動尊巡礼で願い事が叶ったことのお礼を言い、次の願掛けをしてみました。
この頃はまだ、やりたいことがわからずに迷いに迷っているときでしたから、自信のない願いになっていた気がします。
新たな願掛けをして、お不動様や大日如来様と充分に向き合ってから、外へ出て拝観料を払ったときにいただいたパンフレットを読みました。
無動寺は推古天皇の時代に聖徳太子が建てられたお寺のようです。
……時代が古すぎて、わかりませんね^_^;
年数に治すと600年頃、7世紀頃に建てられたお寺ということになります。
物部大臣守屋を討たんがために、大日如来および諸尊の作成を鞍作鳥(鳥仏師)に命じて、戦勝を祈願したのだそうです。
その祈願が成就されたため、七堂伽藍を建立して、普教寺(福寺)と名付けられたのが始まりなんだとか。
ですが宝暦二年(1752年)に中興されていますので、いったん衰えたか廃寺となった無動寺をもう一度起こした方がおられるようです。
中興されたのは眞源阿闍梨という偉いお坊様。
この地域の出身の方だったらしく、高野山成蓮院に住して、左学頭にまで昇補された方だそうです。
地元に帰ったら、お寺があまりに荒廃していたのを悲しまれ、二十数年の月日をかけて勧進努力をされ、中興なされたのだそうです。
なるほど、なので「高野山 無動寺」と石碑に刻まれていたのか。
どれだけ偉い立場になっても、住まいが高野山へ移っていたとしても、幼少より慣れ親しんだ地元への愛着は残るものなんですね。
境内から入る若王子神社は無動寺の鎮守社
実はこのお寺、少し離れた場所に神社もあります。
直接神社へ回る山道もありますし、境内内から入ることも可能です。
若王子神社と呼ばれています。
おそらく「若王山(にゃくおうざん)」と呼ばれる所以ではないかと思うのですが……どうでしょうかね?
この鳥居を抜けて山道を少し登ると、古い朽ちかけた神社があります。
本殿でしたので、撮影は控えました。
ウィキペディアには本殿の写真があります。
こちらは無動寺の鎮守社だそうで、若一王子権現を祭祀し建てられています。
立札には応永十五年(1408年)に建てられたとありますが、パンフレットには永仁五年(1297年)と応永十五年(1408年)の棟礼があるそうです。
一度建てられて、古くて朽ちてしまったため、もう一度建て直したと解釈すればいいのかはわかりません。
それ以上のことがパンフレットには書いてありませんでしたので^^;
調べてみたら神戸市の説明が細かくてもっともわかりやすかったため、神戸市のHPから抜粋いたします
無動寺の境内の西側、一段高い所に鎮座する神社です。明治初年までは無動寺の鎮守社で、若王子権現と呼ばれていましたが、神仏分離令によって、無動寺から分離しました。
社殿は、永仁5年(1297)橘長綱の建立によるもので、応永5年(1408)に橘光綱が新たに建築したと考えられます。
三間社流造の小さな社殿ですが、屋根には竪板葺を残し、手挾の彫刻も精巧です。覆屋内にあることから、保存状態も良く、当時の特徴をよく伝え、室町前期の建築技法を知る上で貴重な社殿です。
福地は、無動寺を中心に神仏習合の姿をよく残し、若王子神社の宮守の交代に関わる行事は、六條八幡神社と無動寺の双方で執り行います。
建て替えたというより、新たに建立したと受け止めてよさそうです。
ちなみに鎮守社とは、神仏習合の結果、寺の鎮守のために建立された神社だそうです。
仏様がおられるお寺を守るための神社……?
仏様は神様に守られないといけないほど弱いお立場なのでしょうか?
そうは思えないので、私には解釈の仕方がわかりません。
神仏分離令により無動寺から分離されたそうですが、日本の寺社仏閣って、建てられ方が複雑ですね……
この若王子神社を過ぎ、さらに少し山を登った先には奥の院がありました。
(※いりのは気づくことができず、若王子神社を参拝して境内に戻ってから、パンフレットの地図を見て知りました^_^;)
次回は奥の院にも行ってみたいと思います。
さて、最後に本堂を出る前にいただいた御朱印です^^
若王山 無動寺は長い歴史を誇る閑静なお寺で、時間があればまた行きたいです。
公式HPはみつけられませんでした^_^;
読んでくださったあなたにも不動明王様のご加護がありますように^^
最後までご覧いただき、ありがとうございました。