おはようございます、いりの@です。
先週から過去に読んだ本の感想ばかりのような……?(;´・ω・)
第144回芥川賞受賞作品、朝吹真理子さんの「きことわ」です。
私は直木賞は探してまでして読まないんですが、芥川賞は探して読むことが多いです。
なぜかは自分でもわからないのですが、たぶん直木賞を受賞するってことは、文句なくおもしろいんだろうと結論付けてしまって、落ち着いた頃に読むか~と考えているんでしょうね。
……で、そのまま忘れている(笑)
そんなふうですから、直木賞はまったく意識していなくて、後から読んだ作品が直木賞だったというのは、わりとよくあるのですけども。
「きことわ」はAmazonで「芥川賞受賞作」で検索して、題名の響きで購入した作品です。
題名買いというのかな(笑)
葉山の別荘で同じ時間を過ごした貴子(きこ)と永遠子(とわこ)
最後に過ごした夏から25年後、ともに過ごした別荘の解体を機に、再び二人の時間が交差します。
しかし、交差したからといって、そこから新たな二人の物語が始まるのではなく、あくまで淡々と、しかし情緒的に二人が少女だった頃の記憶を紡いでゆきます。
過去を振り返り、ときに深く交わり、ときに記憶違いからすれ違いながら、貴子と永遠子は葉山の別荘の片づけを行ってゆく。
さらに葉山の別荘から得た記憶は派生して、貴子自身、永遠子自身の個人的な記憶をも遡ります。
美しいけれど、厳しくもある過去を夢物語のように紡ぎながら、しかして、現在が過去のように親密に交差することなく、貴子と永遠子は今の時間――自分の家族との時間を大切に進んでゆくのです。
話の途中にいくつか点在する不思議なできごと…
この出来事が、過去の記憶をもろいけれど、どこか強かな夢物語のように感じさせてくれます。
ですが、単純に話を追って読むだけだと
……これ、なんの伏線?
…と、感じてしまうかもしれません(;´・ω・)
その部分をどう受け止めるかは、読者自身の感性に委ねられるかもしれませんね。
私は小説に限らず、映画でもマンガでもアニメでも舞台でも、作品を完成させるのは読者・観客だと思っています。
好きでも嫌いでも、おもしろいでも面白くないでも、どんな感想でもいいので、観客や読者が受け止めて初めて作品が完成したと思うんですね。
なので、いらなかったと思うのであれば、それでいいんでしょうし、いや、これは作品を強く印象付けるために必要だ!
……そう思えるのであれば、受け止められるのではないかと。
「きことわ」で推したい部分は扱う言葉の美しさです。
言葉のひとつひとつを精査し吟味して、文章として並べてあります。
その巧みな言葉遊びが、この作品を静かな、けれど根っこを強く掴まれた夢物語のような、過去のお話を印象づけていると思うんですね。
「きことわ」は簡単な漢字でもひらがなへ開いてあって、読みにくいという感想も多々ありますが、私は気になりませんでした。
まぁ、個人的にひらがなが好きというのもありますが。
ひらがなが多い作品はやわらかな印象を作ります。
おそらく、これも著者である朝吹真理子さんの計算のうちだと思いますし、それに、全部ひらがなでもっともっと読みにくい作品は他にもあります(苦笑)
でも、そういう文学的な追及を重ねた作品が、芥川賞を受賞しているのではないかと思えるので、それでいいのではないでしょうか。
それをどう受け止めるかという自由が、私たち読者にはあるはずですしね^^;
ミステリー小説のような、ピカレスクな結末、わかりやすいどんでん返しやオチなどはありませんが、読後感は良いので、興味がある方はぜひ一度読んでみてください^^
優しくてやわらかで、それでいて不思議で強かなお話を読みたいという方にはオススメです(*'ω'*)
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