おはようございます、いりのです。
一度に書くと、とんでもない長さになってしまったため、日記が3分割になってしまいました。
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でも、それだけのことが2020年にあったということなんですよね……
事の顛末、その最後です^^
いりの、ついに自律神経失調症をぶり返し、倒れる
災難その③~本当は怖い自律神経失調症
hiroさんが入院してから11月中旬くらいから、体調がどんどん悪化していることには自分でも気づいていました。
ですがhiroさんのこともあって、絶対に倒れるわけにはいかないと気を張っていました。
でも、いくら神経を張り詰めていても体はついてゆかないものですね。
実は高額医療費を申請する際に健康保険組合とトラブルがあったのですが、その1件で張り詰めていた緊張の糸が切れました。
そして、その日を境にいりのの体調はどんどん悪化。
自律神経失調症が戻ってきてしまったのです。
担当医から再三注意されていた、最悪の事態でした。
疲れやすい、めまい、ふらつき、のぼせ、冷え、頭痛、耳鳴り、動悸、関節の痛み、便秘、下痢、生理不順、口や喉の不快感、頻尿、残尿感、発汗、肩凝り……
軽いうつ状態、不眠、イライラ、集中力の低下、軽い物忘れなども出てきて、普通に生活することも難しくなりました。
また子宮内膜症治療のために飲んでいるジエノゲストのせいで、悪心(吐き気)も症状に加わる始末。
なんの症状がなんの病気のせいで、なんの薬を飲んで出ているのか、自分でもわからなくなっていました。
特に急に動悸が激しくなり、呼吸困難のようになってしまって出勤できなくなったこともあり、皆さんには多大なご迷惑をおかけし続けました。
運転中であったこと、加えて担当医から心臓が急に止まる危険性もあるからねと脅されていただけに、これは本当にマズいと心底怖くなったくらいです。
心臓が止まるんじゃないかというくらいの痛みと激しい動悸、呼吸困難。
脅しではなく本当に止まると感じたくらいでした。
(※しばらく車の中で休んでいるうちに治まったので、ゆっくり運転して帰りました)
とはいえ、いりののこの体調不良に関して「無理ないのかもしれない」と、職場の皆さんも感じておられたようです。
父の突然の死から、相続放棄の手続きを親族のぶんも含めてすべて一人で行い……
相続放棄が落ち着いたと話していた矢先に、夫が大動脈解離で死にかけ、緊急手術ののちに長期入院。
コロナ禍のせいで病院へ行って看病はできないものの、必要なものがあれば持って行かなければならないし、いつ緊急で呼び出されるかもわからない状態。
職場の上司から、真顔で「お祓いに行ったほうがえぇよ」と言われてしまいました。
いりのの不眠症から自律神経失調症まで、長年診察を続けてくださっている医師からは、仕事を辞めることを勧められました。
確かに、フルタイム勤務で仕事をしながら体調を戻すのは無理です。
それにhiroさんが退院した後、介護が待っています。
自分自身の体調管理を行いながら仕事を続け、しかもコロナ禍のなかでhiroさんの面倒も見るのは不可能。
考えた末に、私は一時的な休職を選択しました。
いりのは今の職場が好きですし、仕事をするのも好きなのです。
自律神経失調症で味わった、あの何のために生きているのかわからないような状態に陥る恐怖。
指一本すら自分の意思で満足に動かせない、体の自由もきかない恐怖は二度と味わいたくありませんでした。
体調が戻り、仕事ができるようになったときの幸福感は今でも忘れられません。
それにおもちゃ屋最大の繁忙期となる、クリスマス商戦から成人式くらいまでの正月商戦を無視することもできないという考えもありました。
(※この時期のおもちゃ屋の忙しさは尋常ではありませんので(汗))
私は上司と話し合い、休職を願い出ました。
その際、今までhiroさんの扶養から外れてフルタイムにしていた勤務時間を、hiroさんの扶養に戻るために短縮することも決断。
hiroさんの看護は思いのほか手がかかるのです。
やはり大きく胸を開いて大手術を行った人間の体は、短時間では元に戻らないのですね……
12月は仕事に入る日数を減らし、パートの時間を短くすることと、職場の皆さんのご協力でなんとかクリア。
本当に、職場の皆さんには感謝してもしきれません。
災難は2020年の始まりからすでに起こっていたのかもしれない
小さな災難は意外に多かった気がする
思えば、2020年を振り返ってみると2月くらいから細かなトラブルに見舞われていました。
hiroさんの両親と行った旅行での飛行機予約のミスから始まり……
趣味の寺社仏閣参りの帰りにフロントガラスに小石が当たってヒビが入り修理。
同じ車で、今度は私が事故。
あまりにも小さくて思い出せない内容もあります。
夏にシャワーが壊れたとか1、1月に1階のトイレが壊れた……等も含めると、やはり何かとトラブルの多い年ではありました。
加えて、コロナ禍。
ストレスも加わり、倒れて当然の年だったのかもしれませんね^_^;
それでも仕事を失ってはいませんし、続けることができていました。
そのおかげなのか、トラブルが多くあってもあまり不幸だとも思えなかったんですよね。
幸せなことも多かったですし。
もしかしたら、多くの寺社仏閣へ通っていたおかげでご威光を頂戴し、その感覚が薄くなっていたのでしょうか。
さらに神様仏様が、本来受ける不幸を和らげてくださっていたのかもしれません。
……とはいえ、これが事実かどうかは、まさに「神のみぞ知る」ですけどね^_^;
4つ目の災難は愛猫シシィの死……だけど
最後の災難は、愛猫シシィが突然亡くなった等が挙げられますが……
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高齢だったとはいえ、まだ大丈夫だと思っていたシシィの死の準備は唐突にやってきました。
(※正直、20歳までは生きるだろうと本気で思えるほど、17歳という年齢にしては元気でした)
唐突にゴハンを食べなくなり、半ば餓死のような感じでゆっくりと時間をかけて亡くなりました。
もちろん、このときは悲しかった。
一番付き合いの長い、我が子のような、いりのの半身のような猫でしたからね。
たくさん泣きましたが、どこか冷静でもありました。
なぜ冷静でいられたのか。
昨年の12月上旬にシシィが亡くなってからは、災難と思われるような悪いことがピタリと収ったというのがあります。
クリスマス商戦のまっただ中で、さらに重症化しそうだった私の自律神経失調症も、なぜか症状がゆるやかに和らいでゆきました。
(※それでも現在、休職中ではありますが^_^;)
シシィの死後、ふとした折に運気が上を向いているのが実感できるような感覚を何度も覚えました。
そう思ったら、シシィの死には意味があるのだと思えたからです。
ペットは飼い主の危機が訪れると身代わりとなって死ぬという話があります。
聞いた当初は都市伝説だと思っていましたが、ふとスピリチュアル関係の本で誰かが似たようなことを書いていたのを思い出しました。
いりのにもっとも近い存在で、18年という歳月をともに過ごしてくれたシシィ。
初めて会ったときから、不思議な存在感を持った猫でした。
霊感の強い友人たち全員が「猫らしくない、勘の強い猫ちゃんやねぇ」と言い、写真を撮れば何枚か心霊写真が撮れるなど、不思議な現象が数多くあったのもシシィだけです。
そんなシシィだからこそ、お父たんであるhiroさんの不幸とお母たんであるいりのの不幸を引き受けて、すべてを抱えて天国へ旅だったのかもしれない。
シシィの唐突な死は、不幸に見舞われたいりの一家を立ち直らせるためのものだとしたら、悲しみよりも感謝の涙しか出てきませんでした。
信じる信じないはあるかと思いますが……
いりのとhiroさんは、そう信じようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました<(_ _)>