言葉を紡ぐ日々

一生懸命、人生を楽しむ主婦いりのの気になること、好きなこと。がん治療のことや、たまにお役立ち情報なんかも書いてゆきます

「◎◎感を感じる」という書き方は文章としておかしいのか?

こんばんは、いりのです。

お久しぶりのブログ更新です。

 

なんせ前回の投稿が12月3日。

前回の投稿から2週間を過ぎてしまった……_| ̄|○

 

……それはともかく。

今日は言葉について書いてみたいと思います。

「◎◎感を感じる」という書き方に、私はどうしても強い違和感を覚える

「◎◎感を感じる」は間違いなのか?

この書き方に違和感を持ったのは、とある方のブログを読んでからです。

 

ブログをリンクするとさらし者にするみたいですし、記事内容が悪いとか、そういう悪意ツッコミではありませんので、何卒ご容赦ください。

むしろ違和感のあった日記は、応援系の良い日記だと感じています。

 

「◎◎感を感じる」

 

何年も前からよく目にしたり、耳にすることがあたりまえとなりました。

 

ですが、私はこの書き方に、どうしても強い違和感を覚えてしまい受け入れられません。

 

単に元作家だからとか、そういうプライド的なノリではなく単純にダメなようです。

 

見聞きすると「なんですでに感じていることを重複してるんだ?」……と疑問が生じてしまう。

 

表現方法として、重複することで強調しているとは思えない使い方をされていることがほとんどであるため、余計に頭のなかは「???」です。

 

さらに私自身が疑問は解消しないと嫌なタイプであること、しかし、その疑問が(おそらく)解消されない内容であるため、嫌だなと感じて脳が拒否するんだと思います。

 

私にとって苦手な言葉は他にもありまして、「全然、大丈夫」なんかも苦手です。

 

初めて耳に入れたときは「アカンのか、大丈夫なんか、どっちやねん……」と、自然にツッコミを入れていました。

 

そのなかでも、「◎◎感を感じる」がもっとも違和が強い言葉です。

 

この表現は「重言(じゅうげん・じゅうごん)」、もしくは「二重表現」「重複表現」とも呼ばれ、修辞技法のひとつです。

 

有名な言葉使いでは、「頭痛が痛い」とか、「馬がいななく」などが挙げられます。

 

Wikipediaでは長嶋茂雄氏の有名な発言

「我が巨人軍は永久不滅です」

これも重言として挙げています。⇒重言 - Wikipedia

まぁ、確かに時間的な表現として終わりなく続くことを意味している言葉と、滅することがないと意味する言葉を重ねて使っていますからね。

 

とはいえ、これは発言として自分が愛する巨人軍の存続を強調していると考えることができますし、長嶋茂雄氏らしい使い方だとも思えます。

 

 「腹痛が痛い」「頭痛が痛い」を日常で使う人は少ないかと思われますが、これも冗談のひとつで使用することもありますよね。

 

ですが、冗談でも強調でもなく、「◎◎感を感じる」は日常会話でも普通に使用されていますし、ニュースなどでもキャスターが使用するのを聞いたことがあります。

 

……と、いうことはすでに「日常会話」で使用する言葉のひとつとして浸透しているということなのでしょう。

 

言葉は生き物だと言う方もおられます。

すでに表現としては現代社会において「生きている」言葉なのだとしたら、間違いであるとするのは早計かもしれません。

 

実際、「◎◎感を感じる」という言い方はアリだという方もおられるようですしね^^

 

なぜ、「◎◎感を感じる」が広く浸透しているのかを勝手に考察してみる

これはいりのの勝手な想像(もしくは自分を納得させるために考えた想像)ではありますが……

 

「◎◎感を覚える」「◎◎感を持つ」という言い回しのうちで、「~覚える」「~持つ」という部分が額面どおりの言葉ではなく、「感じる」というふうに受け止めている方が多いからだと思います。

 

(心や体が)感じていることなのに「覚える」とか、変じゃね?( 一一)

 

……と自分自身の発言に違和感を持ったら、普通に「違和感を感じる」と書いたり言ったりするだろうなぁ……と。

 

あと「◎◎感」という言葉そのものの意味が曖昧に覚えられているという可能性も捨てきれません。

 

「違和」「罪悪」「親近」「嫌悪」……「◎◎感」の前に入る言葉の多くは、「感」をうしろに書かなくても単語として意味を持ち、成立しています。

 

それを感じていることを「◎◎感」と書くわけですが、たとえば多くの人が「違和」ではなく「違和感」という単語を、「違和」として覚えているのではないかと。

 

「違和」という単語の意味は

  1. 体の調子がいつもと違って、どこか調子が悪いこと
  2. 対象を素直に受け入れたり、自然に周囲になじんたりするのに抵抗があること

……と、書かれてあります。

 

ちなみにこの辞書には「違和感」の表記もあって

  1. 生理的(心理的)にしっくりこないという感覚や、周囲の雰囲気や人間関係がどことなくそぐわないという判断
  2. その人の理想像や価値観から見て、どことなく食い違っているという印象

……ともあるので、やはり「違和感」という表現は「違和」とは意味が似ているようで違います。

 

~~新明解 国語辞典 第4版(三省堂)より引用~~

 

ですが、おそらく世の中の「違和感」の意味の使い方は「違和」のほうで、それらが重なることで「違和感を感じる」のような表現が生まれたのではないか……

 

それらが正されないうちに誰か(たとえば有名人)などがテレビで使用することによって、広く浸透した可能性は捨てきれない。

 

……と、いりのは勝手に推測しています。

 

ブログは話し言葉で書かれる方が多いですしね^^

表現が美しくないと否定することも、こういう表現もアリと考えるのも、今はどちらもあっていいんじゃないか

そう考えると、私は受け入れられないけれど、使いたい人は使えばいいよね?

 

もしかしたら私のように、「◎◎感を覚える」という書き方のほうに強い違和感を持っている人がいるかもしれないし。

 

それにあたりまえのように使われている現代で、「その使い方おかしいです」とか、ツッコミ入れるほうも今更な感じで、変な気がする。

 

……とも思えるのです。

 

なので、書かれている文面を読むことはしますし、テレビなどから聞こえた言葉が耳に入っても普通に聞きますが……

アカン、「◎◎感を感じる」って、私にはなんか変……( ̄▽ ̄;)

……と、軽いストレスを感じながら見聞きしている、いりのです。

 

とはいえ、言葉は生き物。

 

長く使われているうちに、この「◎◎感を感じる」という表現も変化してゆくかもしれませんね^^

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。