こんばんは、いりのです。
「10月10日(祝日)に結婚したら、いくら記念日に興味がない私でも忘れんやろ~」
……と、お気楽に考えていた平成10年の頃の私。
お国の都合でアッサリと記念日でなくなったのも早や数年前ですが、覚えやすい日に籍を入れたこともあってか、ちゃんと覚えています。
そして20年目の結婚記念日を迎えるにあたり、今日はお題から自立について考えてみたいと思います。
特別お題「わたしの自立」について書いてみる
アラフィフの自立とはなにか
特別お題「わたしの自立」というのを見たとき、ふっと思いました。
アラフィフの私が自立すべきことはなんだろう、と。
……で、「自立」という言葉を調べてみました。
自立
[名](スル)
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。
結婚し、親元を離れて20年以上が経ちます。
一応、保護者であった両親からは自立しているわけです。
すでに自立している私が自立するとなると、今度はなにから自立するのか。
夫であるhiroさんから?
専業主婦は家計のほとんどを夫に任せているため依存しているように見られがちではありますが、実際には違います。
でも私が結婚したての頃はそう思っていたフシがあって、hiroさんの稼ぎだけに頼りたくないと考えていました。
これは母の影響もあると思います。
母は完全に夫である父に依存していました。
それはDVという長年にわたる悪しき習慣によって、母の性格に異常性が帯び、それによって母と父が共依存の関係に陥ったのだと今では考えていますが、当時の私にはそれが理解できませんでした。
この家庭の異常性によって、私たち兄弟は普通の育ち方ができませんでしたし、常に母性に飢えていました。
(※母はいろいろな意味で父しか見ていなかったため、私たちはほとんどかまってもらえませんでした)
そんな母を見て育ったせいなのか、私は夫に頼りたくないとずっと考えていたのです。
それは醜いことだと。
ですが、hiroさんに「いりのが家事をしてくれているから、安心して働けるんやで」と言われたときに、専業主婦は夫に依存しているのではないんだと気づきました。
対等の関係で仕事と家事を分担し、家庭を守るパートナー。
こんなあたりまえのことが、私には理解できていませんでした。
夫は自立しなければならない相手ではなく、最高の協力者である。
そう考えると「自立」という言葉は当てはまらなくなります。
協力者から自立するなんて、関係が根本から間違っていることになりますしね。
そこで私は次の段階としての「自立」を考えました。
突然「独り」になる可能性がチラつき始めるのが、アラフィフという年代
いりのとhiroさんも普通の夫婦ですので、すれ違いや金銭的ななにかで大きな問題を抱える局面に何度も陥りました。
ですが幸運なことに、なんとかそれを乗り越えて離婚せずにここまで来ることができました。
完全に安定したとは言いませんが、2人ともに互いに仕事を持つことができて、それなりに安定した生活を送れていた2018年4月。
そんな矢先に緊急入院した私。
roshiatehamother413951.hatenablog.com
このときに考えたことが、「死」というものが、そう遠くない未来に近づいているということでした。
40代の後半に差し掛かり、もう少し先ではあるものの、なにかにつけて「アラフィフです」と口にするようになりました。
ちょっと早いかもしれませんが、40代後半といえば人生の折り返し地点でもあり、突然死が訪れてもおかしくない年齢です。
(※人生を平均寿命として考えた場合です)
同じ40代でも前半であれば気持ちにも余裕があるかもしれませんが、後半に差し掛かってくると、身内や身近な友人に病気になる人も増えてくる。
まして自分自身が入院してしまうと、
そっか……気持ちは若いつもりでも、体は若くない……いつ死んでもおかしくないんだな……( ̄д ̄)
そんなふうに感じてしまいます。
この入院で私はhiroさんを置いて突然天国へ行ってしまう可能性を考えました。
もちろん逆もありえます。
ある日の朝、hiroさんが目覚めるといりのが冷たくなって動かなくなっていた。
もしくはhiroさんが呼吸をしておらず動かなくなっていた……
そんなふうに伴侶を失ってもおかしくない年齢に近づいているのだ、と強く感じてしまうわけです。
おそらく、お互いに一瞬パニックに陥るでしょうね。
hiroさんはわかりませんが、自分のそうなる姿はなんとなく予想できます(;^_^A
伴侶が亡くなって独りになったとしても、生き抜く術を考えることが「アラフィフの自立」ではないか
とはいえ、ある程度経験は積んでいるので、お互いに最終的にはどうすべきかを考えて動けるとは思います。
問題はその後です。
私たちには子供がいません。
そのため、hiroさんが亡くなると私は独りになります。
(※実家はありますが、だから戻るという選択肢は考えていません)
独りになった場合、家はどうなるのか……
hiroさんの財産の相続権はどうすべきなのか……
その後の私の生き方は?
仕事はどうしたらいいのか……
健康保険などはどうしたらいいのか……
……などなど。
問題は尽きません。
hiroさんはhiroさんなりに考えてくれていて、家のローンがなくなるようにしてくれていたり、生命保険に入ってくれてはいます。
とってもありがたいことです。
しかしそれでも、相続や老後などの問題を考えると悩みは尽きません。
そして私は、どんなに問題があったとしても寿命が尽きるまでは生きなければなりません。
それはhiroさんも同じ。
正社員としての仕事を持っているぶん、hiroさんのほうが生きてゆきやすいかもしれません。
でも家事が大変だろうなぁ、いや絶対できないだろうなと、今の仕事ぶりを見ている限りでは感じています。
それに過去に日記にも書きましたが、本当にhiroさんのモチベーションが私だった場合、仕事を続けるかどうかもわからないわけです。
roshiatehamother413951.hatenablog.com
大切に思ってくれているのはありがたいです。
でも大切な人だからこそ、仮に落ち込みがひどすぎてパートナーロスに陥ったとしても生き抜かなければならない。
自殺は逃げの行為なので、それだけはして欲しくありません。
(※心配はしますが、でもおそらく彼は自殺は選択しないだろうと考えています)
なので私も自殺は絶対にしないと誓っています。
アラフィフの自立まとめ
問題に直面しても自分なりの方法で受け止めて解決しながら生き抜くこと。
これは家族が何人であっても生きてゆくうえであたりまえのことです。
ですが50代へと突入する私たちは、独りになったときの将来を考えて行動する時期にきているのかもしれません。
夫婦は常に2人で暮らし続けることはできない。
けれど、死別・離婚問わずに、別れるまでは「夫婦」という関係であるわけです。
2人でいる間は2人で。
独りになったら独りででも。
楽しく生き抜いてゆく。
なにも考えずに生きていたら、あっという間にアラ還ですしね(;^_^A
そうしてキチンと寿命をまっとうすることが、アラフィフを、そしてこれから老後を迎える私たちの自立と言えるのかもしれないなと考えています。
- 独りででも生きる方法を考えておく
- 2人でいる間にお互いのためにできることも考えておく
- 老後のための生き方、そして死に方を考えておく
- 2人でも1人でも楽しく生きる
少々まとまりが悪い気がしますが、アラフィフの自立を自分なりに考えてみました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。