言葉を紡ぐ日々

一生懸命、人生を楽しむ主婦いりのの気になること、好きなこと。がん治療のことや、たまにお役立ち情報なんかも書いてゆきます

卵巣がん日記 その⑤~~初めての抗がん剤治療へ

がん治療と切っても切れない「抗がん剤治療」

私はがんの進行度は低いのに、この抗がん剤がトラブル続きでした。

 

あのときは本当に大変だったなぁと、今でも思います。

がん治療で本当に大変なのは、手術ではなく抗がん剤だと知る

退院まで順調だったのに、突然いりのに立ち塞がった大きな障害

卵巣がんのステージは「Ⅰc2期」と判明

がん治療で避けて通れないと思われるのが、抗がん剤治療。

ですが私は、発見が早期で、部位によっては抗がん剤使用が無い場合もあることを、今回の治療で知りました。

 

抗がん剤治療の有無は、がんの進行度によって決まります。

 

ご存じの方は多いと思いますが……

がんのステージは0~Ⅳ期まで分類されており、さらに各ステージごとに細かく分類されています。

このステージが、がんの進行度です。

その進行度は、

  • がんがどれくらいの大きさになっているのか
  • 周辺リンパ節への転移はあるのか
  • 他の臓器や器官に転移していないか(遠隔転移)

以上、3つの要素から判断されています。

これは「TMN分類」と呼ばれていますが、私たち患者には、こんなふうに告げられることは、まずありません。

 

実は手術前から退院まで、正確ながんのステージがわからない状態でした。

ですが手術前の診察で、ステージは告げられます。

 

私の場合は「Ⅰ期(Ⅰc)」と言われました。

ただし、それはあくまで予測の範囲の話です。

CT等の検査で診断した範囲での予測という形で、さらに医師の経験則から告げられる言葉。

 

手術をしたことで、開腹した医師が視診・触診し、「卵巣がんである」ということがわかっても、正確なステージは病理検査に任せないと出てこない。

そして、その病理検査は時間がかかるとも言われました。

「2~3週間はかかります」と言われたと記憶しています。

 

正確なステージを告げられたのは、退院して10日後の診察日でした。

「ステージⅠc2期」

 

手術前に告げられていたステージと変化がなかったので、ちょっとホッとしました。

 

お腹を開けてみたら、予想以上に腫瘍の状態が重かった(もしくは軽かった)

また病理検査してみたら、さらに重かった(もしくは軽かった)……。

 

そういうことは、よくあるのだそうです。

だから担当医も軽々しく断言できない。

そして患者は悶々として待つしかない。

 

そしてがん治療は、手術を終え、ステージが明確になったところで終了ではありません。

そこで終了することもありますが、大半の患者は次のステップ――抗がん剤治療へと進みます。

 

私はこの日、抗がん剤治療の説明を受けた後、同意書にサイン。

その後、2階にある通院治療室へ行き、事前に説明を受けて、その日の予定はすべて終了となりました。

抗がん剤治療の前にはやることがいっぱい

1週間後、私は病院を訪れました。

その前に、先週の診察時に、事前に処方された薬があったので、朝食後に飲みました。

 

アプレピタント。吐き気止めです。

2種類ありますが同じ薬です。

80mg125mgで、容量が違います。

投与前に服用する薬と、その後に飲むものです。

薬には抗がん剤投与1時間前とか書いてありますが、食後でも問題ないそうです。

 

そして、抗がん剤は点滴薬と飲み薬がありますが、私が使用したのは点滴薬を2種類。

また「抗がん治療は通院で行います」と告げられたため、治療が終了すれば帰宅できる流れです。

 

とはいえ、通院治療で抗がん剤を点滴で受けるためには、いくつかのステップがあります。

  1. 抗がん剤の投与が可能な状態かを調べるため、まずは採血⇒検査
  2. 血液検査の結果が出てから、婦人科で診察
  3. 問題がなければ、その場で担当医から治療のGOサインが出る
  4. 担当医が薬剤部へ連絡し、薬剤師が調薬開始
  5. 治療室へ移動し、点滴開始。

何事もなければ、点滴を終えて帰宅可能となります。

 

採血⇒診察⇒抗がん薬投与

この流れだけで、私の場合は4~5時間くらいかかるかなという感じです。

 

この日、担当医からGOサインをもらったので、4階の婦人科から2階の通院治療室へ移動。

カーテンで個別に遮られた空間内に、リクライニングチェアやベッド置かれてあります。

 

宿泊するわけではないので、必要最低限のものしか置いてありません。

そのため空間こそ狭いですが、わりとゆったりと点滴などの治療を受けられる印象でした。

 

私はこの日、ベッドへ通されました。

 

まずは看護師が体温・血圧などを計ります。

その間に、通院治療室に常駐している医師が、点滴の針を刺します。

普通の点滴であれば看護師でも良いようですが、抗がん剤治療は医師が針を通さないといけないそうです。

(※他の病院はわかりませんが、私が治療を受けた大学病院ではそうでした)

 

それらが終了すると、薬剤師から投与する薬について、簡単な説明がありました。

  • ラニセトロン  吐き気止め(※同時投与 30分)
  • デキサート    吐き気止め(※同時投与 30分)

吐き気止めを2本同時に投与。

時間にして、およそ30分

  • ドセタキセル   抗がん薬(※60分)
  • カルボプラチン  抗がん薬(※60分)

吐き気止めの点滴が終了したら、ドセタキセルを投与。

ドセタキセルが終了したら、カルボプラチンを投与。

 

翌日から、渡された用紙に書かれてある症状が徐々に出始める(かもしれない)。

特に2回目の投与からは白血球や赤血球等が減りますので、生ものを控え、ケガなどしないように日々注意して過ごしてください。

 

もし帰宅してから重い症状が出るようでしたら、夜中だろうと時間は関係なく、すぐに病院へ連絡するようにしてください。

また、この投与中でも違和感を覚えたら、すぐに看護師へ言ってくださいね……云々。

 

説明も終了し、いよいよ点滴開始です。

はじめてのアナフィラキシー反応

抗がん剤でアレルギー反応が出るとは予想もしていなかった……

看護師から吐き気止めの点滴薬を見せてもらい、薬に自分の名前が書いてあることを確認してから、点滴開始。

(※理由はわかりませんが、点滴を始める前には必ず点滴薬に記載された氏名を確認していました。吐き気止めはともかく、抗がん剤は間違えると大変なことになるので、そうしているのだと思います)

 

30分後、特に問題なく吐き気止めの点滴が終了。

続けて、抗がん薬「ドセタキセル」の投与を開始。

抗がん剤は初めてということもあり、看護師だけでなく医師も傍についてくださいました。

キチンと点滴が体内に入っていることを確認したら、医師は離れました。

 

吐き気止めのとき、看護師は投与した後はベッドから離れました。

ですが、抗がん剤の場合は違います。

異変が起こっても即時対処できるように、看護師が15分間は必ず傍にいるようです。

 

私としては特に不安はなく、漠然と「大丈夫だろ♪」のノリで点滴を受けて数分後。

時間にして3分も経ってないと思います。

 

突然、胃のあたりから駆け上がってくるような、苦しさがこみ上げてきました。

 

「え?ええ? なにこれ?」

「どうしましたか?」

「な……何かが、こう……こみ上げてきて、胸……苦しいです……!」

 

それから、急に呼吸ができなくなりました。

「アレルギー反応出ました!」

 

看護師が大声で告げながら、点滴を止めていました。

医師も飛んで来て、何やら的確に指示を出している様子。

カーテンの外でバタバタと人が動く気配がし、点滴が素早く入れ替えられました。

 

医師「アレルギーが出たみたいなんで、今からアレルギーを○○……。そのために○○○……点滴で……○○○○……」

息苦しさのせいか、医師の説明の最後のほう、ほとんど聞こえず。

聞こえなくても、とりあえず頷く私。

 

医師「いりのさん、他に吐き気とか苦しいところはないですか? 答えられますか?」

私「☆★☆★☆」

自分なりに何とか答えているつもりでしたが、呼吸ができにくいために言葉にならず。

私(や、ヤバい……胸が苦しすぎて、意識がもうろうとする……。こ、呼吸が……)

 

看護師「いりのさーん。もう大丈夫ですからね、落ち着いてくださいね~」

医師「酸素吸入器、用意して。顔、かなり赤いな。担当医は誰? すぐに連絡して」

看護師「はい」

 

聞こえるときと聞こえないときがありましたが、こんな感じのやり取りがありました。

その後、担当医から返事があり、落ち着いたら婦人科のほうへ戻って欲しいとのこと。

 

酸素吸入器で酸素を注入し、点滴でアレルギーを消している間に何とか症状が落ち着いてきました。

その頃には担当医からの返答があり、車椅子に乗って4階の婦人科へ移動。

 

担当医が通院治療室(2階)へ下りてくるか、私が婦人科(4階)へ上がるかを迷われていたようです。

ですが、受診患者が多かったためか、担当医が下りてくることはできませんでした。

 

4階に上がったとき、まだアレルギー処置のための点滴は、まだ私に付いてきていました。

 

このアレルギーを抑える点滴薬を受けると、眠くなるという話は後で知りましたが……

その薬のせいで、私は小一時間ほど眠ってしまったようです。

 

別室のベッドに横になったら、意識が遠のきました。

旦那と一緒に次の抗がん剤治療の説明を聞く

寝る前にLINEでhiroさんに連絡したいたこともあり、「ご主人が迎えに来ましたよ~」の声で起こされました。

心配して、会社を早退して来てくれたようです(/´△`\)ゴメンネ

 

その後、hiroさんと一緒に担当医から説明を聞くことに。

1週間後、別の抗がん剤を使用して治療しましょうという話になり、再び同意書にサイン。

 

アレルギー反応のしんどさが体から抜けきっていなかったせいか、ボールペンを握る手に力が入らない。

担当医が代理でも大丈夫と言ってくれたので、hiroさんにサインをお願いしました。

 

急性のアレルギー反応が、こんなに大変なものとは思ってもいませんでした。

これが世に言いう「アナフィラキシー反応」というのですね……

 

本当に、これは対応が遅かったり間違ったりしたら確実に死ぬだろうなと、強く感じました。

がんを治すために治療しているのに、その薬で急死するとか、マジで勘弁して欲しい展開です……_(º﹃º_)⌒)_

 

治療後でも、まともに歩ける状態ではなく、車に乗るまでは、すべて車椅子で移動でした……。

 

しかも体が疲れ切っているのか、まともに食事もできず、とにかく眠くて19時には就寝。

以降、2度ほどトイレで起床しましたが、朝までずっと寝てしまいました。

 

当然、翌日も元気に起き上がるなどできるはずもなく……

2~3日は寝たり起きたりの状態が続きました。

また、抗がん剤のせいかアレルギー中和薬のせいなのか、ひどい便秘になりトイレで苦しみました。

 

アレルギー反応って怖い。

抗がん剤って大変なんだな。

 

これからの治療に一抹の不安を覚える事件となりました。

そして、その予感は的中します。

 

これからの治療については、また体調が良いときに書きたいと思います。

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました<(_ _)>


 

卵巣がん日記 その④~~腸閉塞の危険を抜けて、退院へ

入院当時に記録していた手帳を頼りに書いている、卵巣がん日記

使用している写真は2022年の入院時に撮影したものに、free素材も使用しています。

 

体調が悪すぎて撮り忘れたものもたくさんありますし、レントゲンなどは普通に撮影できませんので。

どれがfree素材かとまでは記載していませんが、ご理解いただけると助かります。

 

よろしくお願いいたします<(_ _)>

手術痕の痛みよりも怖いものへの治療へ移行

次に苦しめられたのは、腸閉塞(イレウス)寸前までいった腸の動きの鈍さ

背中の麻酔を止めても吐いてしまうのは、医師から腸の動きが弱くなっていると告げられました。

腸閉塞(イレウス)の疑いがあると。

 

今回の手術で腫瘍、両方の卵巣、子宮、リンパ節を切除する際に、腸をたくさん動かしました。

そうしたことで、腸がビックリして動きを止めてしまうことがあるのだそうです。

 

休む、と言うほうが正しいのかな?

大きな手術をすると、よくあることらしいです。

ただ、よくあることだと言っても、腸閉塞が体にとって危険な症状であることには変わりなく……

腸閉塞(イレウス)は異物や炎症、腫瘍などにより腸管が塞がれた状態(機械的イレウス)、あるいは開腹手術などで腸管が麻痺(まひ)(拡張)して腸の蠕動運動が障害された状態(麻痺性イレウス)を指します。

日本では従来、腸閉塞とイレウスは同じ病態として捉えられてきましたが、腸閉塞は腸管の閉塞、イレウスは腸管の麻痺、と区別されることもあります※1

イレウスになると、消化物が腸内をスムーズに移動できなくなり、閉塞部位より上部(口側)に多量の消化物がたまります。

そのため便やガスが腸内に充満して、腹痛や嘔吐などさまざまな症状が起こります。

治療の基本は絶食と補液ですが、保存療法でも症状が改善しない場合や血行障害のある場合は手術が必要となるものもあります。

絞扼性(こうやくせい)イレウスでは腸管壁の血管が圧迫されて血行障害が起こることで、出血や潰瘍、穿孔(せんこう)、腹膜炎などが生じ、死につながるリスクもあるため早期の治療が必要になります。

※1 急性腹症診療ガイドライン出版委員会 編. 急性腹症診療ガイドライン2015. 医学書院, 東京, 2015

腸閉塞(イレウス)~お腹の健康ドットコムより抜粋~

私の場合、食べるたびに吐くので、13日(金)にレントゲン撮影の指示が出ました。

結果、腸が止まる一歩手前とのこと。

 

腸の動きを戻すため、今度は絶食の指示。

さらに、カロリー摂取のための点滴を投与することとなりました。

 

この点滴は1袋で400キロカロリー摂取できるとのこと。

浸透圧などの関係で、400キロカロリーという数値が、人間が血管から栄養を接種できる限界なのだと薬剤師さんから教えてもらいました。

そのため、高カロリーであっても点滴だけだと痩せていくそうです。

ちなみに水分補給もされているのか、あまり水を飲まなくても何回もトイレに行きたくなりました。

 

ただ、この方法には問題がありました。

食べ物のニオイです。

 

コロナが蔓延する前は、動ける患者は食堂へ移動し、各自配膳台からトレイを取って食べていた、この病院。

ですがコロナ禍に入ってから、食事はベッドで食べる方法に変わっていました。

コレ、けっこう厳しいです(^◇^;)

 

ニオイで気分が悪くなるのに、美味しそうにも感じるというか……

体は固体としての食べ物を欲しているんでしょうね。

 

カロリーを点滴で投与されているため倒れることはないのですが、なんというか……軽い拷問のような気分(笑´∀`)

コロナ禍で食堂は閉鎖されているため、ニオイから逃げるために病棟のトークルームへ移動していました。

腸を動かす漢方薬と運動(廊下を歩き回るだけですが)でなんとか腸を動かそうとしますが、一度ビックリして驚いた腸が簡単に動くはずもなく……

 

①腸の動きが良くなったかな~と思ったら流動食&栄養ゼリーへ。

②でもほとんど食べられない、もしくは吐く。

③絶食・点滴へ切り替え。

④体調が良くなったら、①流動食へ戻る▲

 

これを数日ごとに繰り返した気がします。

 

重湯の食事に戻ってきたのは、手術を行ってから10日目でした。

手術から8日目ほどで、ふと体が軽くなるのを感じた

大きな手術を行った方ならわかるかもしれませんが……

不意になんとなく、体が軽くなったなと思う瞬間がありました。

 

それが手術を行ってから8日目のことです。

次は15日目に、また少し体が軽くなっているのがわかりました。

 

手術を行ったのが金曜日だったので、毎週土曜日に変化が来ている感じでしたね。

それは退院してからも続いて、しばらく感じていました。

 

基本的に悪い部分は手術ですべて取りましたし、傷も少しずつ塞がってきています。

過剰な運動などしなければ傷が開くこともないので、肉体としては回復してきているのでしょうね。

 

なので、最終的な目標は腸閉塞にならないようにすること。

重湯やおかゆだけでなく、通常の白ご飯や食パンと普通のおかずを食べられるようになることが、退院の条件となりました。

 

私個人としても、おかずだけでも早く形あるものに変えたかった。

ペースト状のトマトシチューや魚の味噌煮、かぼちゃの煮付け……等々。

味はそのものだとしても、見た目のせいで美味しく感じません(>_<)


料理は味が良ければ大丈夫だと思っていましたが、やはり見た目も大事なんだなと改めて気づきました……

 

でも、ペースト状のおかずが出るのは、まだマシなほうです。

少しずつでも治療が進んでいる証拠。

 

重湯と具のないお吸い物と、高カロリーと書かれた医療用(?)ゼリーだけ。

写真の食事が出る前は、そんな食事のときもありました。

まぁ、点滴でカロリー投与されるくらいなら、水っぽいものでもいいので口に入れられるだけでもまだマシではありますけども。

 

それに早く退院したかったという本音もあります。

大動脈解離から復帰できたとはいえ、hiroさんの体調のことが心配でしたし、5匹になった我が家のネコ様たちのことも心配でした。

 

その5匹の世話をhiroさんに押しつけてしまってますしね(>_<)

そのため一生懸命マズい漢方薬をかかさず飲み、さらに1時間ごとに病棟の廊下を歩くように心がけました。

担当医から「腸を動かすためにできるだけ、歩いてくださいね」という指示も受けていたためです。

 

その甲斐あってか、5月16日に撮影したレントゲン結果で、腸の動きもだいぶマシになっていると言われてホッとしました。

しかし肺に水が溜まっているとも指摘を受けて、その日に水を抜く施術を行うことに。

 

手術をした人は水が体内に溜まりやすいのだそうです。

なので、術後に水を排出する管を体へ入れているのですが、どうしても溜まるのだとか。

 

急遽、背中へ局部麻酔をして、右の脇の上のほうから水を抜かれました。

けっこう大きめの注射器でしたので、200cc以上吸い上げたみたいです。

 

局部麻酔をされているので、針が刺さっている部分は痛くはなかったのですが……

なぜか右肩から頭のほうへ引きつるような痛みがあり、注射器を引っ張るたびに強い痛みが襲いました。

 

なんでかわかりませんが、神経が繋がっていたのかもしれませんね。

頭に麻酔するわけにもいかないので我慢しました(^◇^;)

ですが、レントゲン結果が良かったおかげで絶食は終了。

でも食事量が増えるまでは、カロリー摂取のための点滴は継続。

それが5月17日。術後から11日目のことでした。

 

重湯と栄養系のゼリーやドリンクではなく、三分粥にペースト状になったおかずへ。

さらに三分粥へと以降しつつ、まだペースト状のおかずのまま。

 

それが五分粥、翌日には全粥へ。

おかずも形あるものへと変化しました。

 

翌日になって、昼ご飯から普通のごはんとおかずへと変化。

 

吐くこともなく、残さず食べられるようになったことで、「退院」の言葉がようやく先生方の口から出てきました。

 

退院後の話が出るのと同時に、次の治療の話も出始める

そして退院が間近になってくると、これからの抗がん剤治療や、リンパ節を切除したことによるリスクなどの話が出てくるようになりました。

 

ステージ1cとはいえ、抗がん剤治療は必要なのかぁと、少し落ち込みました。

抗がん剤って、あまり良いイメージがないですし、事実苦しかったので。

でもがんが残るよりはマシなので、がんばったほうがいいかなぁとは思っていました。

 

そして私が入院した病院の近くには、大きな神社があります。

 

なので、

絶対に神様へ抗がん剤治療のことをお願いするぞ!(๑•̀ㅂ•́)و✧

……とか、変な誓いを立ててしまいましたw

 

またリンパ節を切除すると、リンパ浮腫にかかりやすくなるのだそうです。

足がとてもむくみやすくなります。

 

それが悪化したり、菌などが入ると蜂窩織炎(ほうかしきえん)になって、別の治療が必要になります。

 

冊子を渡されたのですが、この蜂窩織炎の画像が怖い怖いコワイヨ(.)!!!

足を毎日マッサージする日々が続いています。

 

いやぁ、本当に病気になるって大変ですね。

 

そんなこんなで、無事に治療を終え(?)、5月23日(月)に退院。

入院した日から数えて18日目のことでした。

14日間では退院できませんでしたが、21日間も病院にいることにならなくて良かった、良かった。

 

まだ一人で歩けない状態だったので、hiroさんに迎えにきてもらいました。

荷物もあったし、本当に助かりました。

 

このときの私は、もう入院はしたくないわ~~とか思っていました。

抗がん剤治療は通院治療ですとも言われて、ホッとしていましたしね。

 

……が、

そうは問屋が卸さない。

 

これから抗がん剤治療で、私は何度も入院する羽目になります。

また体調が良いときに、記録として書きたいと思います^^

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました<(_ _)>

猫の気配を人間が察知することはできない

今日は試験的にスマホアプリから投稿^ ^

 

先日、保護した猫が庭へ飛び出しました。

2年前の8月に保護した、黒猫のクゥです。

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過去の日記では「クー」と書いてますが、いつの間にか「クゥ」に変化してましたσ^_^;

 

何気なくテラス窓をあけて、体を伸ばすようにして庭を覗き込んだときでした。

スッと背後から近寄ったらしく、気がついたら私の目の前にいたんです。

 

いや、もう驚きました。

慌てすぎて、声が裏返ってしまいましたよ( ̄▽ ̄;)

 

庭へ出て「クゥ、帰っといでー」と何度か呼びましたが、余計に逃げる始末。

ついにお隣の塀の境目まで行ってしまいました。

 

するとhiroさんから、

「そんなに声を上げたら、怖がって逃げてしまうから放っとき」

…と言われてしまいました。

 

とはいえ、一度ハヤテに脱走されたことがある我が家。

ハヤテは無事にお家に帰ることができなかったので、必死に探し回ったのですよ。

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見つけたのは、二車線道路を越えたところにある賃貸マンションでした。

右前足に障がいがある体で、よく無事に有馬街道を越えられたもんだ。

 

チョー大変だった、あの日々の記憶が甦える……_| ̄|○

 

でも、怯えさせたらクゥもハヤテの二の舞です。

仕方なく、しばらく待って、落ち着く頃合いを見計らいました。

 

ですが、時間はかけられません。

フィっといなくなる可能性もありますしね。

 

クゥが塀の上で香箱座りをしたところで、行動開始。

このとき、名前を呼ばないのがポイントです。

 

屋内でやっているように、普段どおりの口調で語りかけながら、ゆっくりと距離を詰めました。

その甲斐あってか、無事に抱っこして帰宅。

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それにしても、猫は背後をとるのが本当に上手い。

外に出られてしまうまで、近寄られていることに、まったく気づけませんでした( ̄▽ ̄;)

 

野良猫よりも、だいぶ野生味が薄れたとはいえ、やはり動物には敵いませんね。

 

一昨年から猫が5匹に増えたので、5倍、気をつけていきたいと思います。


 

卵巣がん日記 その③~~術後から治療へ

あのときの私はどうしていたのだろうか。

そんなことを思いつつ、記録的に書いています。

 

ちょうど1年前のことなんだなぁ……

開腹手術後から退院まで~~とにかくすべてが苦しかった

最初の苦しみは、おそらく様々な要因からくる嘔吐

前回の日記で、背中から麻酔を入れる準備をしたと書きました。

roshiatehamother413951.hatenablog.com

硬膜外麻酔ですね。

硬膜外麻酔とは、脊椎(背骨)の中にある脊髄のすぐ近くの硬膜外腔という場所に、 麻酔薬をいれて、手術部位の痛みを無くす、あるいは軽くする麻酔法です。

手術をする所に合わせて、背中のどこから麻酔薬をいれるかを決め、カテーテルという細い管をいれます。

このカテーテルから麻酔薬をいれて麻酔を行います。

公益社団法人 日本麻酔科学会 公式サイトより、抜粋

そして体感してわかったのですが、この麻酔がけっこう強いお薬だったようです。

常に気分が悪くなって吐いてばかりいました。

では、なぜそんな強い痛み止めの薬剤を使用しているのか?

 

それは、

強い痛み止めでもバンバン使用し、できるだけ早く離床してもらう。

……という考えに基づいてのことだそうです。

 

病院や患者の保険に関する諸事情、医師や看護師の過重労働なども視野に入っているのかな?

……などと最初は思いましたが、病室でがん関連の書籍をいくつか読んでいるうちに違うとわかりました。

 

痛み止めを使用し、少しでも体を動かすことによって筋力を戻してゆく。

そして病院側は入院から14日間で退院させようとしているようです。

そのほうが患者のためになる、ということなのでしょう。

 

昔は

「あまり痛み止めは使用しないほうが良い」

とか、

「術後は動かないほうが良い」

……などと言われていました。

 

今の考え方は真逆ですね。

なので私も手術の翌日には、電動ベッドで頭部分を上げて、体を起こされました。

 

若い女の子がやってくれたのですが、いきなり起こされたので手術痕から激痛が。

思わず大声で「痛い!痛い!」と叫んでしまいました。

 

これも後から気づきましたが、服装から看護師の研修生だったんじゃないかなと思います。

私が怒るように叫んだことで、かなりビビッていましたし。

これが慣れた看護師さんなら、うまく流すと思うんですが、失敗したと思ったのがとても怖がっていました。

 

ごめんね、看護師の卵ちゃん。

でもね。

いりのはマジで腹が裂けるかと思ったんだよ……_| ̄|○

 

痛み止めがキツいせいか、かなり吐き続けていました。

あまりに吐いてしまうので、術後2日目にしていったん麻酔を止めてもらいましたが、手術痕の痛みがあまりに強すぎて、2時間も経たずに再開してもらいました。

 

手術痕って、こんなに痛いんですね……

強い麻酔薬は食べ物の味さえ変える

5月8日(日)からは流動食が出てきましたが、ほとんど食べられませんでした。

食べ物があっても、食べたいと思わないのです。

立ち上がることはおろか、体を起こそうと思っても自由に起きられません。

 

流動食も口に入れられないし、水や麦茶も飲めない。

これはかなりキツい。

 

でも食べないと元気になれないので、無理してでも食べる。

すると、必ず吐いてしまう。

お茶でも同様で、なんとか口にできるのが水でした。

 

さらに困ったことに、飲食物すべての味が、これまで感じていたものではなくなっているんです^^;

だから最初は、「ものすごい濃い味付けの料理を出す病院なんだな~」と思って口に入れてました。

でも、よくよく考えたら病院食がそんなに濃い味付けであるはずがありません。

 

さらに過去に同じ病院へ入院した経験があり、そんなに濃い味付けでもなかったことを思い出したら、

「あぁ、これって背中の麻酔薬のせいか」

と、なんとか気づけました。

かなり強い痛み止めの薬らしいのですが(服用期間が決まっているほどの強さです)、その作用だけで味がこうも変わるものかと驚かされました。

 

とはいえ、わかったからといって吐き気が止まるわけではないんです。

しばらくの間、私は吐き気と闘いながら、食べることとも戦っていました。

 

そんな絶不調の入院期間の合間に、がんから派生するであろう病気の診察を受けることとなりました。

 

なんでも、がん患者は血栓ができやすいそうです。

なので、総合内科の血栓専門医師に診察。

先にエコーで画像を撮った結果、やはり血栓はあるそうで、簡単な運動を教えてもらい、できるだけ実践するようにと告げられました。

 

血栓は場所によってさまざまな病気を引き起こす、怖い症状です。

ネットで調べたらさらに怖くなってしまい、ベッドに座れたときだけ、地味に足首を動かす運動をしていました。

やっと背中の麻酔が取れた!

麻酔がなくなったのは、手術から4日後の10日(月)。

ベッド上なら自力で起き上がれるようにはなりましたが、まだ立つことはできませんでした。

でも、この日は尿道カテーテル以外の管がほとんど取れました。

 

麻酔が無くなっても吐くことは止まらず。

そして手術傷の痛みが治まることもなく。

 

痛み止めの点滴、2種類ほどを、決められた時間感覚を守って投与。

強い薬はだいたい時間を空けて飲んだり、点滴をしたりすることが当然のようなので、痛み止めが切れたときが地獄でした(T_T)

 

痛みで何度も目覚めてしまい、ナースコールを押したのを覚えています。

5月12日には抗生剤と痛み止めの点滴が錠剤に変わりました。

痛みが起こるたびに起床して服用。

とはいえ、薬も4時間ごとと決められているので、その時間が来るまでは起きても服用できません。

入院中は……いえ、退院しても、この痛みによる苦しみはしばらく続き、数時間ごとに起きていました。

 

とはいえ、傷による痛みは日にち薬のような部分もあります。

なので、痛みも薄皮を剥ぐようにではありますが軽減されていました。

薬を飲むための待ち時間も、慣れもあるのでしょうが、次第に耐えられるようにもなっていましたしね^^

 

本当の意味で大変だったのは、手術による体内への影響でした。

お腹の中を触ることが、こんなに大変な思いをすることだったとは……

 

長くなりましたので、続きは次回に書くことにします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>


 

卵巣がん日記 その②~~そして手術室へGO

自分のための記録日記^^

1回目の日記が長すぎた気がするので、分けることにしました。

 

手術前日から手術終了、まで。

もう少し詳細に思い出しながら書き直してみたいと思います。

大学病院で初めての手術へ

手術前の準備って、意外に大変

まずは絶食と下剤の服用

2022年5月6日(金)、ようやく手術を受けることとなりました。

 

入院は前日から・

その日の朝に病院へ入り、昼食を食べてからは絶食。

そこから準備が始まります。

 

まずは食後に下剤の服用。

私の場合は卵巣がある下腹部の手術であることと、状況によって人工肛門を取り付けるため、事前準備として必然となりました。

 

下剤の服用する日、時間は病院によって差があるようです。

ネットで調べたら、手術の3日前から飲むと書いている病院もありました。

 

また下剤と言っても、錠剤ではありません。腸や大腸を洗浄するための水タイプの下剤です。

 

大腸内視鏡検査でマグロコールPやモビプレップ等を処方されるかと思います。

コレ、驚くほど超マズいんです。

個人差はあるかと思いますが、私は吐き気を覚えるほどでした。

でも、大腸がスッキリします。

 

入院の際に飲んだ下剤は、それよりも小さなタイプ。

薬剤名は忘れましたが、350㎖のペットボトル飲料くらいの大きさでした。

 

それでも出てくる大便の色が水っぽくならなければ、浣腸も行います。

私も下剤では水っぽくならず、浣腸されました。

 

あんなの、子供のときだけだったよ……ちょっと恥ずかしい_| ̄|○

下剤を飲んで便意を待つ間に、ストーマ装具を取り付ける位置を仮決めしておきます。

シャワーを先に浴びてから、上下左右、お腹に水性マジックでマルを書くんですね。

この位置に看護師さんがマルを書いていました。

まずは大きくお腹に丸を、それから縦横に線を書いてから、「ここかな?」と言って○と4ヵ所書いたので、下の画像を脳内でイメージしていたんでしょうね↓↓

このとき質問しなかったので詳細はわかりません。

でも骨がある位置には付けられませんし、便を出す器具なので、あまりに大腸から遠かったら意味がありませんしね^_^;

 

さらに手術部位が下腹部になるため、毛剃りも行われます。

下腹部の、ホントに際まで剃られました。

「切除するの卵巣だしな、けっこうお腹を切るのかな~」と呑気に考えていたくらいです。

 

下準備を終えても夕食はなし。

飲めるのは病院から与えられたスポーツドリンクらしきもののみ。

そして21時に消灯。早っ(*゚Д゚)

 

お腹も空いているし、こんなに早く寝られるかーとか思ってましたが、LINEでhiroさんに連絡してから目を閉じると、素直に寝てしまってました。

準備が終わったら手術室へGO!

自分でも驚くほど緊張しなかった

早めに寝たおかげか、5時に起きてもスッキリしていました。

 

いま考えても不思議なんですが……

ほとんど緊張しておらず、リラックスしていました。

 

腹を括ったとか、覚悟を決めたとか、そういう気合いが入った感覚ではなく……

もう先生方や看護師の方々にお任せするしかない、という気分でもなかった気がします。

 

すでに私ができることは全部やっています。

……とは言っても、体調管理と神頼みくらいですけども。

 

神頼みは複数箇所でお願いしました(笑´∀`)

でも、その神頼みが良かったのかなと、今は思っています。

入院してからずっと、なんとなく「守られている」という気分でいることができましたから^^

 

9時に病室で術着に着替えて、歩いて手術室へ。

手術室は少し寒かったです。

 

手術台に寝かされると、看護師さんが選んだ医療用の着圧ソックスをはかされました。

おそらく、しばらく寝たきりになるためではないかと思われます。

今も愛用していますが、サイズが大きかったようで、あまり着圧感が薄いです。

MかLでサイズを迷ってらしたので、Mサイズと言えば良かった。

 

それから背中へ入れるという麻酔の管を入れる施術がまず行われます。

硬膜外麻酔の準備だったかな?

施術のために局部麻酔もされたような気がしますが、なんせ背中なのでわかりません(^◇^;)

 

「ごめんなさいね~。背中なので痛いですよ~」

……と看護師さんたちに言われましたが、想像していたほどの痛みではありませんでした。

 

もっと激痛がくると思っていたようです。

いりの、マンガ読み過ぎ!(笑´∀`)

実は私、早起きしてしまったせいか、背中に施術を行っている間に眠くなってしまい、思いっきり寝てしまったようです。

背中に管が入ったあたりから、ほとんど記憶がないので、医師や看護師の方々に呼びかけられても答えていないと思います。

 

全身麻酔の手術ですが、麻酔をかけたときもわかりません。

ドラマとかでは声をかけてもらえるようですが、ほとんど覚えていませんw

 

開腹手術は予想以上に長丁場でした。

9時に手術室へ入り、諸々の処置を行って、おそらく9時30分過ぎには開始されたかと思います。

 

その後、hiroさんへ電話で手術終了と内容の知らせが入ったのが19時40分頃だったと、後から聞きました。

 

10時間も手術したんですね……

担当された医師や看護師の皆さま、本当にありがとうございます。

当の私は麻酔から目覚めた後、すぐに病室へ戻されました。

がんは、部位によっては数日ICUに入ることもあるそうですが、私は行くことはありませんでした。

 

手術室から出るときに、自分でも驚くほどガタガタと震えていたのを覚えています。

おそらく大量に出血したせいだと思いますが、とにかく寒かった。

真冬に薄着で放置された気分でした。

 

医師か看護師の誰かが、「電気毛布を当ててあげてね~」と言っていたのを、うっすら覚えています。

5月でそこそこ暖かい日だったと記憶していますが、一晩電気毛布にくるまれて寝ました。

 

翌日、普通に朝7時過ぎくらいにに目覚めることができましたが、常にうつらうつらとしていたような気がします。

 

体がとにかく重く、ベッドから動けませんでした。

もちろん食事なんて頭に浮かびません。

 

体中にいっぱい管がついていて、何がどうなっているのか最初はわかりませんでした。

それが徐々に理解できはじめた頃に、術後の症状が出てくるのですが……

 

書き出すと長くなりますので、次回にいたします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

卵巣がん日記 その①~~検査から入院まで

今日から卵巣がん治療で、いろいろと経験したことを含めて、書いてゆこうと考えています。

がん専用で別ブログを立ち上げて書こうかなとも考え、試行錯誤しました。

でも、な~んかしっくりこないんで止めました。

 

ほとんど自分のための記録日記。

体調が良いときに、ちょこちょこ手帳へ書き残していた記録から、卵巣がんが見つかった後の行動を写しておきたいと思います。

卵巣がんが見つかってからやったこと、起こったこと

検査、診察、検査、説明!!

2022年の6月頃にアップした日記で、卵巣がんがみつかりましたと書きました。

roshiatehamother413951.hatenablog.com

がんが判明すると何が頻繁に行われるのか?

それは検査です。

 

とにかく検査と診察のオンパレード。

採血から始まり、CT検査、MRI検査、PETーCT検査、エコー(超音波)検査、大腸の内視鏡検査……等々

 

もしかしたら病院で受けられる全ての検査を受けるかもしれないとか、まじめに考えてしまいました。

 

その間に麻酔科での手術時に使用する麻酔の事前説明、婦人科で私の体の現状とそれに伴う手術内容の説明もあります。

ほとんどが検査と説明の日々です。

 

しかもコロナ禍ということもあり、入院前にはPCR検査を受けなければなりません。

コロナ陽性だと自宅待機となってしまうため、入院できずに1週間~2週間以上なにもできなくなります。

 

これが本当に困りものなのです。

実はいりのはコロナにかかってしまいました

3月上旬にがんの疑いがあり、3月中頃にはほぼ「がん」だろうということで、元々通っていた大学病院への転院となりました。

 

3月中頃に、一度目の診察を受けたまでは順調でした。

 

ところが、忘れもしない2022年3月28日、深夜1時か2時頃だったでしょうか。

就寝中、突然下腹に激痛が走りました。

飼い猫が私の体に飛び乗った瞬間でした(写真のような高さからではないですが^_^;)

このサビ猫レアはとっても甘えん坊で、私の体の上で寝るのはほぼ毎日のこと。

なので飛び乗るのも珍しいことではありません。

ですが、この日は違いました。

 

最初は「痛い」だったのが「すごく痛い」へ。

次第に呼吸ができないほどの激痛となって動けなくなり、ついには救急車を呼んでもらいました。

診察の結果、卵巣腫瘍の破裂(チョコレート嚢胞破裂)と判明。

緊急入院となり、その場でPCR検査となったのですが……

なんと陽性

 

「すみませんが入院できません」と言われてしまい、抗生剤などを処方されるだけで自宅へ帰されてしまいました……(゚◇゚)ガーン

 

hiroさんが救急車の後ろをついてきてくれたので、帰宅するのは問題なし。

でも私がコロナ患者になってしまったため、彼は濃厚接触者になってしまいました。

 

10日ほど2階へ隔離され、hiroさんには1階のリビングで寝ていただきました。

食事も作ることが許されないため、すべてhiroさん任せです。

 

とはいえ、最初の5日間ほどは下腹部の痛みでほとんど寝たきりでしたし、強い抗生剤だったせいか嘔吐と下痢がひどくて家事どころではありませんでした。

 

不幸中の幸いといえば、hiroさんがコロナ陰性だったことでしょうか。

それでも、hiroさんも5日間ほどは自宅待機。

陰性と判明してから会社から出社許可が出るまでの数日間は自宅待機しなければなりませんでしたが、無事に出社できるようになりました。

 

hiroさんが職場復帰する頃には私の体調もだいぶ良くなり、普通に動けるようにはなっていました。

 

ですが、私にはコロナの症状はほとんど出ていなかったんです。

ワクチン摂取のおかげでしょうね。

痛かったり辛かったりした症状は卵巣腫瘍の破裂(チョコレート嚢胞破裂)の部分だけ。

 

それが治り始めると、健康な人と同じように活動できていました。

保健所の方が毎日電話をくださいましたが、コロナらしき症状を伝えることはありませんでした。

(※「帰宅してから下痢が続いています」と告げると、「処方された抗生剤のせいかもしれません。強いお薬なのかも」と言われました。おそらく、他のコロナ症状が出ていないのに下痢だけ続くのはおかしいと保健所の方も思われたのだと思います)

 

いやはや、ホント人生って何が起こるかわかりませんね。

大学病院での診察と検査、再開

コロナにかかっていなければ全ての診察・検査を終えて、4月下旬には手術を行う予定だったのですが、約2週間ほど予定が繰り下がりました。

 

4月中頃に改めて婦人科の診察が始まりました。

それからは1日で3種類ほどの検査を行うハードな日程で、週1日、多い日は2日、必ず大学病院へ通います。

 

検査の他にも、麻酔科の説明と同意書へのサイン。

当たり前ですが、どんな麻酔を使うのかという説明がほとんどです。

 

主に全身麻酔を行うことと、その後に何が起こるか、起こりやすいかの説明。

でも、一番わかりにくかったのが背中から管を入れるという麻酔です。

 

背中は重要な神経が集中しているらしく、麻酔を入れるととてもよく効くんだそうです。

 

おそらく硬膜外麻酔と言うのかな?

首から下のあらゆる部分の手術に使用できて、全身麻酔と併用できるうえに、術後も背中の管から麻酔を注入できます。

 

翌日には検査を行ってから、さらに採血し婦人科での診察。

このとき、がんのステージの予想を告げられました。

 

ステージ1c

おお。思ったより軽いんじゃね?

……とか、いりのは呑気に考えていました。

 

市民病院でがんを告げられたとき、卵巣がんをネットで調べましたが、わりと発見が遅れやすいがんらしいのです。

なので、発見時にはステージ2を超えてる可能性あるな~と思っていたので、少しだけ気が楽になりました。

 

もちろん、開腹しないと正確なステージはわからないのですが、おそらく大丈夫だろうと楽観視することにしました。

 

麻酔の説明でもそうですが、わからないことがあると人間は不安になります。

いりのも最初は不安でした。

 

ですが、不安になってばかりで小さくなっていても仕方がありません。

ネガティブでいても、がんに良くないんじゃないかなと思いましたし……

体の中に、良性だろうが悪性だろうが、腫瘍があることは事実ですしね。

 

なので、まな板の鯉ではありませんが、手術に関しては大学病院の先生方にお任せすることにしました。

なんせ自分で手術はできませんしね。

手術にしろ麻酔にしろ、わかるまで説明を受けても、すべてを理解できる自信もありませんし。

 

……と、まぁ、偉そうに書いてはいますが、実際に私にできることなんてほとんどないです。

コロナに再度かからないように注意し、体調を整えておくくらいで。

 

なので、手術前に「ステージ3です」とか告げられていたら、そう考えられたかは自信ないです(>_<)

 

そして、婦人科でも手術内容の説明と同意書へのサインです。

 

がんでなければ卵巣にある腫瘍だけを切除して終了。

がんであるならば、両方の卵巣、子宮、転移の可能性がありそうなリンパ節をすべて切除します、とのこと。

 

さらに、このときの説明では、人工肛門を付ける可能性があると告げられました。

腫瘍が腸に癒着していて切除する際、誤って腸を傷つけることが希にあるそうです。

 

もちろんそんな技術の持ち主が手術するとは思えませんが、外科医も人間です。

間違いがないとは言い切れません。

 

また、がんが腸や大腸へ移転していたら、そこも切除しなければなりません。

腸を傷つけた場合、人工肛門をお腹に付けて腸を守るのだとか。

ストーマ装具と言うそうですね。

さすがに、それは避けたいなぁとは思いましたが、お腹を開けてみないことにはわからないので、嫌とは言えません。

それだけのためにがんを放置するわけにもいかないので、もちろん承諾しました(T_T)

 

翌週が5月の連休に入ってしまうため、5月5日に入院し、翌6日に手術と決定しました。

この日が一番早い手術予定ですと、担当医は仰ってました。

 

でも、最終の婦人科診察が4月28日。

翌日からゴールデンウィークに突入してしまいますし、祝日は病院も休み。

なにより、29日以降で平日と言えば4月30日(金)、5月2日(月)くらい。

 

連休が絡むと病院も予定を組むのが大変なんですね。

 

とにもかくにも病院へは無事に入ることができました。

 

長くなりましたので、手術の記録は次回にいたします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

3回目のコロナワクチンを接種して、もう4回目は打たないと決意した

ブログをできるだけ書くとか新年の挨拶で書いておきながら、次の更新が1ヶ月半以上……

 

アカンがな、私よ。

でも大変だったんですよ(←言い訳(笑´∀`)

もしかして、これが副反応なのか

頭痛と吐き気とめまいと関節痛と倦怠感と慢性疲労(?)の毎日がきた

先月の25日、hiroさんと一緒にコロナワクチンの3回目を接種しました。

日本各地で大雪が降った日です。

我が家の近辺も前夜からこんな感じでした。

(※画像は我が家の周辺ではありません)

 

豪雪地帯の方々はご苦労なさったと思います。

関西でもJRは止まるわ、車は立ち往生するわ、配達予定の食材は届かないわで大変でした。

 

こんな日になるとわかっていたら、予約しなかったよ……(..;)

それに、副反応が出るまではもっと早く接種したいと考えてました。

 

でも早く受けたいとは思っても、抗がん剤治療が進むにつれて体が思うように動けません。

治療の最後のほうは、杖なしで1人で歩くことが困難になっていました。

 

病院へ行く途中、駅のホームからエレベーターに乗るために待っていたら、乗る順番を譲ってもらうことも多々ありました。

それも、自分よりも10歳以上は年上に見える方々に……

 

おそらく、当時の私は健康そうには見えなかったでしょうし、年齢よりも10歳は老けて見えていたのではないかと思います。

実際、自分で鏡を見ても、控えめに言っても5~7歳くらいは老けて見えました。

 

そのせいで結局、1年以上も間を空けて受けることになってしまいました。

ホント、がんになんてなるもんじゃないですね。

 

ですが、今は抗がん剤治療を受ける前に接種してくださいなんて言いません。

つか、こんな副反応が出るとわかっていたなら受けたいとも思わなかった。

 

3回目は近隣の個人病院で、ファイザー社のワクチンです。

1回目と2回目がモデルナで、集団接種(ノエビアスタジアム)だったので、ちょっと勝手が違いました。

roshiatehamother413951.hatenablog.com

一応、がん治療を受けている婦人科の担当医に接種しても良いかを質問し、

「打っておいたほうが良いですね」

との回答をいただいたため、接種を決めました。

 

前回は会場が大きかったこともあり、工場のベルトコンベアに乗せられた部品のように、受付から接種、その後の様子見まで、すべてが流れ作業。

通路に示された表示に沿って、スタジアム内を歩き、問診を受け、接種し、30分ほど椅子に座って過ごし、そして案内どおりに外へ出るという感じでした。

でも今回は個人が運営する病院でしたので、受付から接種後の様子見も病院で受ける診察と、あまり変わりはありません。

 

さすがに診察には様子見が無いため別室待機となりましたけど。

 

そういえば、最初に「大雪で大変でした」とか書きましたが、その大雪で患者さんが少なかったのですよ。

おかげで別室待機もhiroさんと2人だけで、とてもゆっくりさせていただきました。

 

前回のモデルナでは、接種後に体調不良となり、ぐったりとした私。

今回のワクチンはファイザーだし、どうかな~と思っていたのですが、特にぐったりすることもなく……

 

一つ違いがあるとしたら、腕の痛みがモデルナよりキツい(..;)

ものすごく痛かったですし、その痛みも翌日を過ぎてもなお残っていました。

hiroさんのほうが長く残っていたかと思います。

 

でも、どちらも熱も出なかったため、

「モデルナよりファイザーのほうが体に合ってるんちゃう?」

なんて、2人で言っていたくらいでした。

接種翌日から、なんとなく「おかしい?」と思い始める

ところがです。

翌日から、私の体調がなんとなくおかしくなりました。

  • なんだか吐き気がする
  • ひどい頭痛もある
  • 軽くめまいがする
  • 体の節々が痛い(※特に膝)
  • 寝付きが悪くなった
  • 両手に軽いしびれ
  • なんとなく体がダルい
  • とにかく横になりたい(※1つ作業を行うと、すぐに疲れてシンドくなる)

……なんだ、これ?

抗がん剤治療中に逆戻りしたのか、私の体?

 

……そう思えるような症状が次々と襲ってきました。

ですが抗がん剤治療の副作用に関節痛や手のしびれはなかった(※少なくとも、卵巣がんで使用する抗がん剤で、いりのが接種した薬品に限定されますが)

 

特に困ったのが倦怠感、疲労感です。

 

吐き気や頭痛も困りましたが、薬でなんとななります。

めまいも以前処方していただいた薬でなんとかしています。

 

これらは抗がん剤治療時にもらっていた吐き気止めなどのお薬です。

それが残っていたため、それを服用し続けています。

 

ですが倦怠感や疲労感は別です。

薬でどうなるものでもない。

それに抗がん剤の倦怠感や疲労感とは、また違った感じがしました。

 

全身筋肉痛のような感じとでも言いましょうか。

体が動かないのではなく、動かしたくない。

なんとか1つ作業を終えても、続けて他の作業を行えない(すぐに疲れるので家事がスムーズにできない)

 

接種から数日経つと、頻尿も気になり始めました。

がんにかかってから水やお茶を多めに飲むように心がけていますが、同じ量を飲んでいるのにトイレの回数が格段に増えたんです。

 

映画1本観るのをガマンできません。

実際、接種後にhiroさんと映画を観に行った際、途中でトイレへ駆け込みました。

 

腰や肩、膝の痛みもだんだんとひどくなりました。

もともと腰痛は持っていましたが、こんなに痛みはありませんでした。

 

肩の痛みも、肩こりなどではなく、本当に関節部分が痛いんです。

なんでこんな症状が出てるんかなぁ~

自律神経失調症に似てる症状もあるけど、ちょっと違うねんなぁ~~

 

そのとき、フッと以前みたテレビニュースを思い出しました。

コロナ後遺症に悩む方々の姿と症状です。

 

あれ?これってコロナの症状じゃね?(;´・ω・)

 

もちろん、コロナのワクチン接種を行ったのだからコロナに軽くかかっていることは理解できます。

 

いりのは過去にコロナ陽性と診断されたことがあります。

ですが、そのときには、こんな症状は出てこなかった。

しかも、こんなに強い副反応がでるとは想像もしていませんでした。

 

コロナってかかるとキツいんやなぁ……。

いやいや、ワクチンを接種してこんな反応が出るなんて知らなんかったわ。

 

これが正直な感想でした。

 

いま考えると恐ろしいくらいに無知だし、あまりに素直にワクチン接種を義務のように受け入れ過ぎていた気がします。

接種前、いちおう厚生労働省のサイトで副反応や安全性は確認していました。

 

ですが、鵜呑みにしてはいけませんね。

数日で消えると書かれてありましたが、未だに症状が改善されません。

 

少しは楽になったかな~と思って動くと、強い疲労感で横になってしまいます。

車の運転が特に辛くて、買い物などで一回外へ出るとひどく疲れて横になります。

頭痛薬も吐き気止めの薬もお世話になったままです。

 

ただ、私の副反応は軽いほうだと思います。

接種後に亡くなっている方もおられますし、もっと強く出ている方は大勢いるんじゃないでしょうか。

 

あとファイザーとモデルナでの反応が違うんですけど、なぜでしょうね?

会社によって体の反応が違うのも、かなり不思議です。

 

ともかく、ワクチンの副反応は私の体に残り続けています。

その後のコロナワクチン副反応

ファイザーワクチンを接種してから、もうすぐ1ヶ月になります。

 

副反応の症状はやや軽くなったかなと感じてはいます。

……が、やはり薬も飲み続けていますし、倦怠感や疲労感は残ったままです。

 

ワクチンが体から抜けたら楽になるんじゃね?

……とか、1週間目くらいまでは気楽に考えていました。

 

でも、そんなに早くワクチンが体から消えるとも思えません。

今は少し症状が軽くなった気がするだけで、大きく改善はされていません。

 

正直な話、今はお風呂に入るのさえシンドイと思う自分がいます。

私はもともと眠れない体質で、昼寝もできませんでした。

でも今は、ひどいときは昼寝をするようになりました。

 

それくらい、体が重いのです。

副反応が出て2週間くらいまでは、

「もしかしたら、気持ちの問題かもしれない」

と、思って無理をしたときもありました。

 

でも、コレはおそらく別物です。

明らかにワクチンによる弊害だと感じています。

 

それに私は、インフルエンザワクチンを接種した際に体調不良を起こした経験があります。

 

もしかしたら自分には合わないかもしれない。

接種する際は、ある程度、覚悟したほうがいい。

 

そう思わざるを得ない経験でした。

 

私は、コロナワクチンを接種しないほうがいいとまでは言い切りません。

接種するしないの自由が、誰にでも平等にありますので。

 

ですが、接種する際はある程度、覚悟したほうがいいとだけはお伝えしたいと思います。

もしかしたら、私のようになるかもしれませんし、ならないかもしれない。

もっと強い副反応が出るかもしれない。

 

それは接種してみないとわかりません。

ただ後悔しても遅い結果だけは、絶対に選ばないようにしていただきたいとは強く願います。

 

hiroさんに同じような症状が出なかったことが、不幸中の幸いでした。

我が家の大黒柱がこの症状に陥ってしまったら、我が家は経済破綻します。

 

3回目のファイザー社のコロナワクチン接種。

これらの経験は、4回目を接種することは避けたほうが良いと判断せざるを得ないものでした。

 

4回目を打って症状が重くなったら……

最悪、今の症状が悪化するぐらいなら、死んだほうが迷惑をかけないかもしれない。

(※5匹の猫たちの世話を押しつけることになるので、死ぬことも迷惑になるかもしれませんが……)

せっかくがん治療が経過観察になって、コロナにかかって辛い思いをしないために接種したのに……

コロナワクチン副反応で動けないのでは本末転倒ですよね……_| ̄|○

 

ともかく、解毒に効くというお茶があるらしいので、それを飲んでみよようかと。

また来月、自律神経失調症で受診している精神神経科の担当医に相談して、漢方科を院内紹介してもらおうかと思案中です。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

近畿三十六不動尊霊場を巡礼する 霊場・巡礼方法まとめ ~気ままな私の日帰り旅行~

不動明王は人気の高い仏様かと思います。

かく言う私も大好きで、お不動様が祀られていると、訪ねた先のご本尊よりも注意を向けてしまいます。

 

過去にお不動さんを巡ったいりのが、その経験から近畿三十六不動尊霊場に限定して巡礼方法をまとめてみました^^

近畿三十六不動尊霊場(きんきさんじゅうろくふどうそんれいじょう)を巡礼します

近畿限定の不動尊霊場巡礼まとめ

日本各地のお寺に、不動明王が祀られていますよね。

そして、そのお不動様を巡礼するという内容は、地域によって存在します。

 

九州・東海・関東・東北……

もしかしたら、他にあるかもしれませんね。

 

題名にもありますが、「近畿三十六不動尊巡礼」を過去に巡ったことがあります。

現在は2週目です。

 

コロナ禍と、私とhiroさんの大病のせいで、もう何年も中断しています。

できれば再開させたいですね。

前回の近畿三十六不動尊霊場を巡礼を始めたのが2010年。

最後にお参りした南院が2012年の夏に訪れていますので、足かけ2年かかっています。

 

巡り方にもよるかと思いますし、巡礼される方の状況にも左右されるかと思いますが、時間のかかる参拝方法だと思っていただいたほうが良いです。

 

それでは、まずは簡単に「近畿三十六不動尊霊場」についてご説明します。

近畿三十六不動尊霊場とは?

近畿三十六不動尊霊場とは、大阪府京都府兵庫県和歌山県滋賀県奈良県にある不動尊不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場のことをいいます。

霊場の選定にあたっては、宗派に囚われず、一般の人々からの立場からの意見を取り入れて、1979年(昭和54年)に古寺顕彰会が中心となり選定した霊場とされているそうで、日本で最初の不動尊霊場でもあります。

三十六の数の由来は、不動明王の眷属が三十六童子であることに由来しており、また、人間の煩悩三十六支を表し、三十六ヶ寺を巡拝することによって煩悩を消除する意味も含まれているそうです。

近畿三十六不動尊霊場 - Wikipediaより、参照~

巡礼するお寺は以下のとおりです。

第1番「四天王寺〒541-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

第2番「有栖山 清水寺〒543-0061 大阪府大阪市天王寺区伶人町5-8

第3番「法楽寺」〒546-0035 大阪府大阪市東住吉区山坂1-18-30

第4番「京善寺」〒546-0041 大阪府大阪市東住吉区桑津3-21-9

第5番「報恩寺」〒542-0072 大阪府大阪市中央区高津1-2-28

第6番「太融寺〒530-0051 大阪府大阪市北区太融寺町3-7

第7番「国分寺〒531-0064 大阪府大阪市北区国分寺1-6-18

第8番「不動寺〒560-0056 大阪府豊中市宮山町4-7-2

第9番「大龍寺」〒650-0007 兵庫県神戸市中央区神戸湊地方字再度山1-3

第10番「若王山 無動寺」〒651-1254 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100

第11番「鏑射寺」〒651-1503 兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1

第12番「安岡寺」〒569-1028 大阪府高槻市浦堂本町41-1

第13番「大覚寺〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4

第14番「仁和寺〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33

第15番「蓮華寺〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内20

第16番「三千院〒601-1242 京都府京都市左京区大原来迎院町540

第17番「曼殊院〒606-8134 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42

第18番「聖護院」〒606-8324 京都府京都市左京区聖護院中町15

第19番「青蓮院」〒605-0036 京都府京都市東山区栗田口三条坊町69-1

第20番「智積院〒605‐0951 京都府京都市東山区東大路七条下る東瓦町964

第21番「中山寺〒665-8588 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1

第22番「北向山 不動院〒612-8445 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町61

第23番「醍醐寺 五大堂」〒601-1383 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山

第24番「岩屋寺〒607-8308 京都府京都市山科区西野山桜の馬場町96

第25番「圓満院」〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町33(三井寺山内)

第26番「無動寺 明王堂」〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町比叡山無動寺谷4220

第27番「葛川息障 明王院〒520-0475 滋賀県大津市葛川坊村町155

第28番「成田山 明王院〒572-8528 大阪府寝屋川市成田西町10-1

第29番「寶山寺」〒630-0266 奈良県生駒市門前町1-1

第30番「如意輪寺」〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山1024

第31番「大峯山 龍泉寺〒638-0431 奈良県吉野郡天川村洞川494

第32番「瀧谷不動明王寺」〒584-0058 大阪府富田林市大字彼方1762

第33番「犬鳴山 七宝瀧寺〒598-0023 大阪府泉佐野市大木8

第34番「根来寺〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286

第35番「明王院〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山146

第36番「南院」〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山680

 

霊場に関する詳しい内容は公式サイトにも記載されています。

近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ(近畿36不動尊巡礼のご案内)

初めて第1番「四天王寺」を訪れたときのことです。

順番がついているくらいですので、私は第1番から順に巡るのが正しいのだろうと考えていました。

 

ですが、その四天王寺御朱印をもらう際に

「別に1番から順番に回らんでもえぇからねー」

……と、納札所で言われたことがあります。

 

根が単純な私は、「なんや、そうなんかぁ」と素直に受け止めてしまいまして(笑´∀`)

その後は効率良く回れるよう、hiroさんが調べて車で回ってくれました。

 

確かに住所を見ると、1から順番に回るにしてはちょっと不便な並びになっているよな~と思えないこともないですしね。

 

要はご近所から巡ってもなんの差し障りもありませんし、遠方から巡って、もっとも近い霊場を最後にしてもかまわない。

 

巡礼を途中でやめるほうが不動明王様への失礼になるから、それくらいなら順番なんか気にしなくていいということなのかもしれませんね。

 

事前にグーグルマップで寺院がどのあたりにあるのかなどをチェックするとか、インターネットで近畿三十六不動尊霊場巡礼ツアーがないか調べるとか。

 

電車の乗り継ぎなども調べておくと良いかもしれません。

できるだけ早く巡りたいのであれば、やはり、できるだけ調べるほうが良いかと思います。

 

もちろん1番目から丁寧に巡るのもアリですよ^^

事前準備は必要か?

近場に宿泊してからお参りする…という場合でなければ、これといって特別な準備を行う必要はないかと思われます。

  • 御朱印
  • 賽銭
  • 線香
  • 歩きやすい靴
  • 持ちやすいバッグ

巡礼のための準備であれば、これだけ持って行けば充分かと。

他の細かな準備は、季節によって変化しますしね(※後述します)

 

御朱印長は自前でも良いですし、第1番「四天王寺」では専用のホルダファイルも販売しています。

(※他の寺院でも販売しているかと思いますが、中には扱っていないお寺があるかもしれません。各寺院に問い合わせてみてください)

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1冊2000円します(※2018年当時)

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ですが巡礼を1度きりにしないのでしたら、何年かけていつ頃いったのかを専用の記録用紙に記入できるため重宝します。

 

ファイルを見て、過去を振り返るのって楽しいです。

このファイルを見せれば寺院さんのほうも、このファイル専用の御朱印を用意してくださいますしね。

 

ちなみに掛け軸のような御朱印帳もあります。

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2万円以上から~と、かなりお値段がかかります。

 

持ち歩くものでもなさそうなので(※持ち歩くには大きいです)御朱印だけ持ち帰って自宅で貼り付けるのが正解でしょう。

 

ちなみにAmazonでも販売しているようです。

ほんとお値段、高いですね……。

 

掲げる場所がないのと高額なので、購入したことはありません。

 

そうそう、ファイル購入の際にチラシももらえます。

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チラシには巡るべき寺院さんの地図と住所と電話番号が記載されているので、とても便利です。

 

ぜひ1番目のお不動様をお参りしたらもらって残しておいてください。

フォルダを購入しなくても、御朱印をいただいたときにチラシを欲しいと言えばもらえると思います^^

季節によって相応の準備は必要

季節ごとの事前準備を強いてあげるとしたら、以下のとおりです。

  • スポーツドリンク(水)
  • タオル
  • 日傘
  • ネッククーラー ……等

  • 手袋
  • マフラー
  • カイロ
  • 飲み物 ……等

使い捨てカイロで貼るタイプはとても便利で重宝します。

……が、昨今のエコやエシカルなどの風潮に合わないかもしれませんので、ご自身の考え方に合わせて選んでください。

(※個人的に、足先に貼る使い捨てカイロは必需品だと思っています)

 

もし遠方から行かれるのでしたら、旅行準備は必要ですね。

 

第33番「犬鳴山 七宝瀧寺」は「ここはホンマに大阪府なんか?」と思ってしまうほど山奥にあります。

山の入り口近くにバス停があるのでそこまでは乗り物で行けますが、徒歩だとかなり登ります。

 

歩くのは舗装されていない道、またコンクリートで舗装された道があり場所によって様々です。

でも、街灯もなく人気のない山道をひたすら登るとだけは考えておいてください。

 

陽が落ちるのが早い季節だと、そうとう危険になると思われます。

 

また車で行くにしても山道が狭いため、あまり大きな車で行くと前方から車が来たときに立ち往生する危険性もあります。

 

出発日にレンタカーを借りる、もしくはどこかで宿泊してからレンタカーで……というものアリかもしれませんね。

(※選ぶのであれば軽自動車をお勧めします)

 

犬鳴山 七宝瀧寺には七宝瀧寺白雲閣という宿坊があるようですが、ここは行者(仏道・修験(しゅげん)道の修行をする人)の寄宿舎だそうですので、一般の人には借りられません。

 

近場に宿泊施設がありますので、そこをお勧めされると思います。

 

いりのとhiroさんはほとんどの寺院を日帰りで行きましたが、第35番「明王院」・第36番「南院」がある高野山だけは、日帰りが無理だったので宿坊に泊まりました。

 

絶対に宿泊が必要なわけではありませんが、無理のない範囲で準備を進めてくださいね。

真言は覚えてから行くべきか?

 無理に覚えてゆく必要はないと思います。

 

なぜかというと近畿三十六不動尊霊場は1つの宗派のお寺を巡礼するものではありませんし、宗派によって真言が微妙に違っているから。

(※本当に微妙な違いです)

 

また、第33番「犬鳴山 七宝瀧寺」だけ真言がまったく違います。

 

そのためなのかはわかりませんが、お寺によっては不動明王像前に真言が掲げてあることが多いです。

 

納札所に印刷した用紙を置いている場合もあります。

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もちろん無い場所もあります。

そのときはご挨拶と、どこから来たのかとお願い事を言えばいいのではないかと(;^_^A

 

私が最初に覚えた真言は、近畿三十六不動尊霊場のどこかのお寺を回ったときに、不動明王像の前に短い真言が書かれてあったので、それを覚えて4回唱えていました。

(※近畿三十六不動尊霊場以外でお参りした不動明王様だったかもしれません。すみません、記憶がうろ覚えです……)

 

「ノウマク・サマンダ・バサラダン・カン」

 

……だったと、記憶しています( ̄▽ ̄;)

 

「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・カン」と唱える場合もあるかと思いますけれども、私が最初に覚えたのは「サマンダ」と唱えるほうでした。

 

4回唱えたのは、その不動明王像が祀ってあるお寺さんには、真言のとなりに「4回唱えましょう」と書かれてあったからです。

 

しかし何件も回ってゆくうちに、いろいろな寺院で目にする不動明王様の真言が目につくようになり、中間くらいに長いものを暗記で読むようになっていました。

 

最初に覚えたものから、自然に口になじむものに変わっていったような気がします。

 

最終的に頭に残ったのは、画像にある真言でした。

用紙をもらったおかげかもしれませんね。

 

回数は最初は4回で、4回のまま満願を迎えたと記憶しています。

 

今では9回唱えるようにしています。

これは私が参考にしているブロガーさんの書籍から知りました。

お坊さんは3回不動明王様の真言を唱えるのだそうです。

 

何故その3倍を唱えるのかはわからないという記述でした。

が、著書である桜井識子さんがお不動様に「9回唱えよ」を言われて実際に唱え、何度も不動明王様に助けられているそうです。

 

なので、見えない世界では9回が正解なのかもしれないと考え、私も9回としました。

 

この書籍には不動明王様についての記述があります。

参考になるのではないかと思います。 

 

真言はもっとも短いものを「小呪(しょうしゅ)・一字呪(いちじしゅ)」

中間くらいの真言「中呪(ちゅうしゅ)・慈救呪(じくしゅ)」

もっとも長い真言「大呪(たいしゅ)・火界呪(かかいしゅ)」

……というそうです。

 

中呪・慈救呪は多いのですが、大呪・火界呪を不動明王像前に書いて置いている寺院は近畿三十六不動尊霊場では見たことがありません。

(※もし見落としていたらすみませんm(__)m)

 

大呪・火界呪を一応載せておきます。

ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」

 

中呪・慈救呪はお寺さんへ行って直接覚えると良いのではないでしょうか。

 

先に書いた大呪・火界呪はインターネットから探して掲載していまして、私もネットで探して覚えようと努力してみましたが、まったく頭に入ってきませんでした。

 

信じてもらえるかわかりませんし、自分でも本当に不思議なのですが、覚えなくてもいい真言は本当に覚えられません。

 

この真言よりも長い祝詞は半月くらいで覚えて、今でも暗記で唱えられるのに……です。

 

これは長さは関係ないのではないか、本人に必要か否かで記憶できるものなのかもしれない。

覚えなくてもいい真言は小呪・一字呪でも、中呪・慈救呪でも覚えられません。

 

なので無理して記憶してから巡礼しようと考えなくても良いのではないかと思いますよ^^

 

あ、先に書いた第33番「犬鳴山 七宝瀧寺」の真言も記載しておきます。

「ノウマク シッチ シッチ ソウ シッチ シッチ キャララヤ クエンサンママ シッチ アジャマ シッチ ソワカ

この真言も覚えるのが大変でした。

 

実はhiroさんが犬鳴山 七宝瀧寺が大好きなので、不動尊巡りとは関係なく行きたいときに参拝に行くのですが、未だにうろ覚えの部分が多い真言です(..;)

なぜ巡礼するのか?

不動明王様は人気のある仏様でもあるので、ご縁をいただきたいとか、純粋な信仰心から巡っておられる方もおられるでしょう。

 

もしかしたら、巡礼する方のなかには願掛けが入っているかもしれません。

 

近畿三十六不動尊霊場巡礼には、巡る人なりの尊く重く、そして純粋な信仰心がそこにあるのだと思います。

 

私も不動明王様は一番大好きな仏様です。

 

不動明王といえばどうしても「魔を祓う」イメージが強く、私個人の感覚としては、煩悩や悪いものを祓っていただくために巡るような気がしています。

 

実際、私が最初に巡った際にかけたお願い事は幽霊を見えなくしてもらうことでした。

それが1回目の近畿三十六不動尊霊場を巡礼した理由です。

 

霊感があるというのは一見すごいことのようにも思えますが、実はあまりに強いと生活に支障が出てきます。

 

しかも私の場合は最初「声しか聞こえない」という、かなりの中途半端っぷりでもあったため、急に霊が見え始めたとしても自分でON/OFFができません。

 

そもそも、あってもなくてもいいような霊感でしかなかった。

 

……だったはずのに、なにがキッカケだったのか、それでも意思とは裏腹にどんどんと強くなってゆく。

 

ある日、私は車での帰宅途中に「おばあさんをひき殺した!」と思って急ブレーキをかけたことがありまして、危うく大事故を起こしかけました。

 

私にはハッキリと見えていた手押し車を押して車道へ飛び出すおばあさんは、一緒に乗っていたhiroさんには全然見えなかったそうなのですが……

 

他の人には見えなくても私が急ブレーキを踏んだことは事実なので、危うく後続車とぶつかるところだったのですよ(;'∀')

 

その後も自宅内で首のない猫ちゃんを見たとか、いないはずの人影がみえたなどということが増えました。

 

そういえば見えない何かから強引に霊魂を引っ張られて幽体離脱させられそうになり、危うく昇天しかけたということもあったなぁ……...( = =) トオイメ

 

そんな色々と危ういことがあったこと。

そして、我が家はマイカーがないと生活に不便な地域ということもあり、周囲からアドバイスを受けて、巡礼を決めました。

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ですが同時に1番~36番まで巡ることができたら、なにか自分のなかで一本芯が通るというか、なにかを成し遂げる力を得られるかもしれないとも感じたこともあります。

 

1番~36番まですべての霊場を回ることによって、実際に煩悩が消えるのかは定かではありませんし、なかには祈願のために巡る方もおられることでしょう。

 

満願を迎えたとき……正確にいえば、満願を迎える前から私の願いは叶っていました。

 

近畿三十六不動尊霊場を巡っている途中、「レイキ・ヒーリング」に出会ったことで、さらに霊感を抑えることができたようにも思えます。

 

レイキとはあまりにも不自然な出会い方だったので、これは不動明王様のお導きなんだろうと思っています。

 

声が聞こえるのは変わらないので完璧に消えたわけではありませんが、霊の姿は見えなくなりました。

おそらく私にとって霊感というものが、その時点では不必要なものであるため、不動明王さまが軽くしてくださったんだろうと思います。

 

私の場合は聞き届けられましたが、すべての方のお願いを聞き届けてくれるかどうかは定かではありません(;・∀・)

 

なにか強い決意があるとき、もしくは叶えたいなにかがあるとき、不動明王様におすがりするのは悪いことではないのではないかと思っています。

 

特に悪霊を祓うとか、悪い力やクセをなくすとか、「穢れ・悪しきものを祓う」といったことに関しては、不動明王様は強いような気がします。

 

今回の祈願は、まったく別のものではありますので、どのように作用するかわかりません。

 

結果をご報告できたらいいな~と思うのと同時に、巡礼で回った寺院をお伝えできたらいいなと思っています。 

まとめ

  • 第1番から順番に巡礼する必要はない
  • 事前準備の必要は薄い(※ただし暑さや寒さ対策への準備は必要)
  • ただし宿泊して行くのであれば、宿泊準備や事前調査は必要。
  • 無理に真言を覚えて行く必要はない(※不動明王像の前に真言が書いてある場所がある)
  • 巡礼の理由は人それぞれ

あなたなりの理由で、お好きなように巡ってみてください。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

事前に勉強してゆくと参拝に深みが増すかもしれません^^

死が身近になると、自然に手放せるかもしれない

お題「オタクグッズの処分方法を教えてください。金額を考えてふと我に返ってるところです。」

こんな題材を見つけたので、記憶を頼りに書いてみようかな~と。

 

私もオタクグッズを処分する際、それまでの購入金額を考えたらゾッとしたなぁ(笑´∀`)

一番の方法は、専門業者に買取ってもらうのが良い

なぜなら手っ取り早いし、買い戻しができにくいから

オススメするのは、やっぱり買取り業者かなと思いますね。

お題を出した方のオタクグッズが何なのかわかりませんが、やっぱり専門の業者を選ぶことがベストかなと。

 

我が家もオタクグッズは何度か売り払ったことがあります。

さらにhiroさんが大動脈解離で緊急手術⇒入院となったときは、売れると思われる物はほとんど処分しました。

 

書籍、マンガ、CD、DVD、ゲーム……

 

私が趣味で小説を書いていることもあり、特に本は多くて困った困った。

めっちゃ重いし。

 

すべてを詰め終えて箱にしたとき、買取り業者へ送る箱は、軽く20箱を超えていました。

 

ポイントサイト「ハピタス」を経由して、買取り業者をを探して売り払いました。

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

総額で12万円くらいになったんじゃなかったかな。

大黒柱が入院中で収入が無かったこともあり、これは本当に予想外の嬉しい臨時収入でありました。

 

しかも経由したポイントサイトでも、ポイントバックが思いのほか入ったので、Amazonギフト券に交換して、さらに美味しい思いをしました。

 

……と、ここまでは我が家の話。

 

いりのがなぜ業者をオススメするかと言えば、お金に換えられるからとかポイントサイト経由でお得感だけではないのです。

一番の理由は本当の意味で我が家からなくなるからですね。

 

友人に売ったり譲ったりすると、手元になくなった瞬間から「もったいない」とか思ってしまうことがあります。

そのため結局返金したり、連絡して返してもらったりすることになりやすい。

 

それでは手放せませんよね。

 

業者に買い取ってもらえば、買取りに承諾して口座に現金が振り込まれてしまったら返品してもらえません。

手元に戻りようがないのです。

 

そういう点から、専門業者への買取りをオススメかなと思います。

「このままではあの世には行けん!」と我に返った日

自分が卵巣がんだとわかったとき、もしかしたらhiroさんよりも先に死ぬかもしれない。

なので、遺すと面倒だろうと思えるモノを処分することに決めたのですが……

 

このときにほとんど処分したと思っていたので、あんまり無いかなぁ……と考えたとき、ふと隠していたモノを思い出しました。

 

まるで中高生男子が親に内緒で隠すアダルトDVDや雑誌のように、密かに隠していたモノ(笑´∀`)

 

ポケットモンスタートレーディングカード、通称「ポケカ」です。

もともと私はゲーム好きですが、ポケットモンスターは大人になってからハマりました。

もっと正確に言えば、猫を飼い始めてからです。

猫を飼ってからプレイしてみると、なんだかポケモンが可愛く思えたのですよ。

 

ポケカは仕事の都合で買ってみたのが始まり。

おもちゃ屋勤務でしたので、一つでも得意分野を持っておきたいなという感じでした。

 

そのおかげか、ポケモンカードのオーガナイザーという資格を取得できましたしね^^

 

でも私はプレイヤーではなくコレクターで、気に入ったポケモンのみを集めていました。

なので枚数としてはさして多くないのですが、けっこうレアなカードを持っていたのですよ。

▲こんなカードとか。

イーブイとミュウが大好きだったので、集めるのはもっぱらイーブイ&進化形。

そして、ミュウ。

レアだけでなく通常のカードも含めて、ほとんど集めました。

▼このシリーズは箱買いもしたな~~

しかもhiroさんに内緒で……

 

これはイカン!

コレを遺してあの世には行けん!(꒪ཫ꒪; )

 

今年(2022年)50歳になるオバサンの形見がポケカ……

マジで恥ずかしいし、笑えません。

なので、泣く泣く売ることに決めました。

 

実はポケカはカードによっては高額転売できます。

なのでフリマアプリで販売しても良かったのですが……

 

なにせ抗がん剤治療で弱った体。

販売に時間がかかって管理が疎かになるといけないので、専門業者に一括買取りしてもらいました。

 

保存用の専用ファイルのまま送ったため、保管していた枚数も覚えていませんが、まとめてで2~3万円にはなったかと思います。

 

まぁ、レアカードがあるといっても全てを揃えることはできませんでしたしね。

価値のないカードも多々ありました。

 

トレーディングカードは箱買いしても、レアに当たる確率って低いのです。

でもイーブイ大好きな私には、どのカードにも超価値がある!(๑• ̀д•́ )✧+°ドヤッ

 

イーブイ以外のポケモンカードも持っていましたが、そちらはレアカードではなかったので。

 

ロコンはかわいいので好き☆

おもちゃ屋を辞めたこともあり、現在ポケモンカードは集めていません。

でも卵巣がんが発覚しなければ、今もコソコソと集めていたと思います。

手放す気がサラサラ無かったので……

 

でも人間って死が見えてくると、愛着があるモノでも意外なほどポンと手放せるものですね。

今も現在進行形でいろんなモノを処分できています。

 

なので、なかなかオタクグッズを手放せないという方は、

「自分が死んだときに、これを遺しても大丈夫だろうか?」

……と、考えてみると良いかもしれません。

 

ご参考になるかはわかりませんけども。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

50歳の節目でもあった2022年と新たな一歩のための2023年

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

こんなお題を見つけたので、書き始めにいいんじゃないかと思い、書いてみることにしました。

2022年は卵巣がんとの闘い、2023年は自分との闘い

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

ご挨拶日記を書くぞー!とか思っていましたが……

三が日はなんだかんだ忙しく、ブログを書く暇がありませんでした。

 

なので、hiroさんが仕事始めで出勤してから、ゆっくりと書いています。

2022年 卵巣がん治療はマジできつかったよ~

2022年のいりのは、50歳になった年でした。

節目の年。

 

でも一番印象に残るのは、やっぱり「卵巣がん治療」でしょうか。

病気のおかげで、いろんな意味で良い経験したと思います。

 

コロナ禍ということもあり、あらゆる方向へ神経を遣い、けっこうキツかった。

でも、それも面白かったですね。

 

がんになってわかったのですが、「がん」そのものは痛くもかゆくもないんです。

もともとは自分の細胞だからかもしれませんね。

 

がんに痛みや病気の症状が出始めるのは、がんが進行してからです。

がん細胞が大きくなったり転移することにより、様々な症状を引き起こして体調を悪化させます。

 

なので私のように運良く早期発見できた場合は、本当の意味で辛いのが手術と抗がん剤治療かな、と感じました。

 

なぜって、「がんがみつかりました」と医師から告げられるまでは、なんの問題もなく生活していましたからね^^;

 

がんとわかってからは、ほぼ毎週検査。

そして卵巣がんの手術。

子宮・両方の卵巣・リンパ節の切除。

 

胸の下から30㎝ほどバッサリ切られたせいか、退院後も長引く痛み。

リンパ節を切除されたことで起こるむくみ(※意外に痛い)

 

続けて、抗がん剤治療へ。

抗がん剤で急性アレルギー反応を起こし、使用する抗がん剤が2回変わる。

(※しかも「これ以上アレルギー反応が出たら、もう使用する抗がん剤がありません」と担当医から告げられる)

 

担当医が絶対に使用したい抗がん剤でも軽いアレルギー反応が出たため、本来なら通院で済む治療が入院となる。

(※アレルギー反応が出る抗がん剤と同時に抗アレルギー剤を注入し、看護師監視のもとで治療することになったため)

 

さらには、抗がん剤治療の副作用から出たと思われる他の病気の治療のため、院内紹介で他の課にもかかる。

抗がん剤治療の回数が増えるに従って、受診する科がどんどん増えていく。

次第に、大学病院内にあるすべての科を受診コンプリートできるのではないかと妄想するようになる( ´ー`)。о(フフフ)

 

ほぼ毎週、病院を行ったり来たりの日々。

 

……で。

ようやく落ち着いたのが昨年の11月末でした。

 

そのまま年末に突入しましたが、しんどかったので新年の準備はかなり省略w

 

年末はわりとゆったりと過ごしたこともあり、お正月は初詣へ行ったりhiroさんの実家へ帰省したりして、久しぶりに忙しかった気がします。

いりのが2023年にやりたいこと

昨年の目標は、体重以外はほとんど達成することができませんでした。

その体重も、正月でやや増加(笑´∀`)

 

今年の目標は何にしようかと思いましたが……

  1. 就職する(ただしパート勤務)
  2. ブログをできるだけ更新する(ただし体調による)

こんなところでしょうか。

 

できるだけブログ更新をしたいなと思い、今年の目標に入れました。

ずいぶんと更新をサボり続けていましたしね(..;)

 

またブログに関しては他にもやってみたいこともあって、いろいろと思案中です。

 

昨年、がん治療に専念するために退職してしまったので、やはり就職もしたいです。

できればおもちゃ屋がいいなと思いますが、どうなりますことやら。

 

今年は創作活動は入れませんでした。

書いてもいますし、資料も読み込んでいますが、あまり意気込んで書くことは避けています。

 

ゆるゆるとまったりと面白い作品を書き上げられたらいいなというノリです^^

どこかの小説サイトに掲載できたら、ブログで報告するかもです。

 

本当は「がんを再発させない」を入れようと思ったのですが、体のことなのでちょっと無理かな~と。

食事内容を変え、健康を意識して生活しているつもりですが、こればかりは私の意思でどうこうできるものでもないと判断しました。

 

再発しちゃうときは、どうあがいても再発すると思いますしね。

でも、再発させないように超がんばりますけどね!| ‾᷄ω‾᷅)و✧グッ

 

なにはともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

猫サマたちと一緒にがんばって生きま~す!^^

 

我が家の猫サマたちは新年から超が百個つくくらい元気です♪